フェアウェル、チャイナ

今回はいとまごいに参りました。
4月28日に大連から東京に拠点を移します。

Dalian, Liaoning, China

2008年から約一年半ほど上海に住み、それから東京で一年ほど間をあけて、再び上海で暮らすようになったのが2011年。そして2013年から大連で過ごしています。
全て仕事の関係で中国にいましたが、再び東京へと戻ります。

Shanghai, China

約四、五年という長い期間だったので、感慨深いものがあります。
上海や大連で過ごした日々を懐かしく、そして愛しく思います。

上海では多くの友人ができました。とりわけ、中国人やアメリカ人、ネパール人など国際的な交流が多く、文化や習慣、考え方の多様性を学べた気がします。
滞在中に反日デモが起きましたが、個人として向き合えば、みんな普通に接してくれました。
自分自身がニュートラルになるほど日本人としてのアイデンティティも生まれ、自分とは何者か、他者に対してどうあるべきかを考える機会が増えました。

本格的に小説を書き始めたのもこの頃です。
恐らく私は上海に住むことがなかったら、今の自分とは全く違う別人になっていたのだと思います。
世代も国籍も性別も異なる人々が、愛情を持って接してくれました。
上海は私にとってかけがえのない、第二のふるさとです。

上海の電動バイク

上海を思い出すときに欠かせないのが、この電動バイクたちです。
二台所有していて、これらで色々な場所に行き、たくさんの人たちと交流しました。
一台(写真左上)は上海の友人に貸して、もう一台(写真右上)は大連まで持ってきました。
しかし大連で走るには不都合があり、結局、部屋のなかに置いています。
引き取り手がないので、しばらく同僚のマンションの下に置かせてもらおうと思っています。
部品やステッカーを日本から持ってきたり、修理屋のおじさんと議論して色々と手を加えていたので、とても愛着があります。
置いてけぼりにするのは心が痛みます。モノというのはどうしてこんなに人の気持ちを切なくさせるのでしょうか。きっとモノの中に、様々な思い出が詰まっているからなのでしょう。

大連の家からの風景

大連で思い出す(ことになりそうな)のが、この自宅からの風景です。
上海とは異なり、大連ではほとんど家にいたので、この風景ばかり見ていました。
その理由はまず執筆に夢中になっていたためと、家のあるマンションが市内よりも少し離れた場所にあったためです。移動するのが不便だったため、休日も出掛けないことが多かったです。

上海では十年ほど前からオフィスがあったので、仕事も生活もほとんど問題ありませんでした。しかし大連ではひとりでオフィスや組織を作らなくてはならず、孤独な毎日でありました。
そんなとき、仕事を手伝っていただいた外部の方たちには本当に救われました。
とりわけ、派遣会社の中国人の営業の方は恩人と言っても過言ではありません。
私には上海に中国人のションディ(兄弟)がいるのですが、大連の彼も紛れもなく私のションディです。

Shanghai, China

私にとって、中国がもたらしてくれた影響は計り知れないものがあります。
この場だけではその1パーセントも表現することができません。
名残惜しい気持ちはありますが、これが最後の別れとは思っていません。
これからも出張はありますし、また暮らすこともあるかもしれない。
そして中国ではなく、他の国や日本の別の街で暮らすこともあり得ます。
これまでがそうだったように、別れは新たな出会いの機会を与えてくれると思います。
その機会が巡るたびに、私はこの中国の愛しい日々に心の中で再会できると思っています。

しかしひとつの区切りとして、きちんと挨拶をしたいと思います。
さようなら、中国。そして、ありがとう。
過ごした日々は、永遠に忘れません。

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