グルメの変遷

七月もあっという間に過ぎ去っていきました。なにをしていたか思い出せないくらい、歳をとると時間の感覚が短くなります。

先日、美食家で有名な著名人がパーソナリティとなっているラジオ番組を聴きました。パートナーと一緒にいるときにラジオを流していることが多いのですが、この番組もよく耳にします。

番組では食の話題が多いのですが、昔に比べてグルメの定義がすこし変わったように思いました。

グルメはフランス語の「gourmet」がもとになっており「贅沢なもの、美味しいものを食べるのが好きな人」を指します。語源は人を指しますが、日本では食べ物そのものを表すこともあります。

最近では「B級グルメ」という言葉があるように、贅沢な食べ物以外に使われています。B級グルメの初出は1985年という説があり、四十年ほどの歴史があるようです。ただ、2000年代前半くらいまでは贅沢な料理のほうがまだまだ地位が高かったと思います。

かく言う私も三十代前半くらいまでは贅沢な料理に憧れたものです。誰もが知る高級料理店や一部の「分かる人」だけが知っている隠れ家的なお店など、東京の各地域に数軒ストックしておこうと足を運んだものです。また、著名人に愛された歴史あるお店の食べ物を手土産にしたり、ワインなど酒類の銘柄を勉強したものです。

最近ではそのようなものに興味がなくなり、身の丈にあった食べ物を好むようになりました。高級でもなく特段美味しいものでなくても、自分が心地よく思えるのであれば、それで満足しています。

日本全体を見まわしても、そのような傾向が強くなったと思います。単に贅沢できない経済状況に陥ったこともあるでしょうし、個々人の嗜好に寛容な社会に移り変わったこともあるでしょう。現在は他者の羨望を集めるよりは、より自分らしくいられるほうが格好いいと思える風潮が主流になりつつあります。

慣れ親しんだ故郷の味や仲良くなった店主の料理、旅した国の思い出の味、それらには贅沢なものも含まれますが、誰かのものでなく自分のものです。バブル期には他者の羨望を集めることで評価を得ていましたが、そのような振る舞いを続けているのはあまり格好よく見えなくなりました。

とはいえ、どんな料理を選ぶかは個人の自由です。老舗の蕎麦屋しか認めないという人もいれば、近所の立ち食い蕎麦が落ち着く人もいます。人は人という寛容さをもって、食する喜びを噛み締めたいものです。

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