夏目漱石と私

私が敬愛する作家、夏目漱石。
恐らく日本人でこの作家を知らない人はいないと思います。

夏目漱石書籍

若かりしときは、夏目漱石やその他の近代文学を敬遠していました。
堅苦しく読みにくいと思っていたばかりでなく、欧米の文化、特に映画に感化されて文学に親しみを感じていなかったからだと思います。中学、高校生になって少しは本を読む辛抱ができても、海外や日本の新刊などを選んでいた記憶があります。

しかしいつからでしょうか、「世のスタンダードこそが一番面白いのではないか?」という発想が生まれていき、それならば一番有名な夏目漱石を読もうと思い立ちました。

そして読んでみると、100年前の文章であるにも拘らず読みやすく、描かれている人物の心理描写も生き生きとしていて夢中になってしまいました。私が執筆している小説たちも、人々の心に残り何度も読み返すことができる普遍的なものを目指していきたいと思っていますが、これは近代文学の影響が強いのだと思っています。そのきっかけを与えてくれたのが、夏目漱石だったというわけです。そして当時感銘を受けた文章が、この「」の一節です。

彼らは大きな水盤の表に滴(した)たった二点の油のようなものであった。水を弾(はじ)いて二つがいっしょに集まったと云うよりも、水に弾かれた勢で、丸く寄り添った結果、離れる事ができなくなったと評する方が適当であった。

主人公の宗助が、かつて親友の妻だった御米(およね)とひっそり暮らす話なのですが、上の引用は二人の関係を比喩したものです。二人の距離感が油の描写とともに、すうっと頭に浮かんだのを覚えています。
Kindle Paperwhiteでは他の人が読んで印象的だった部分がハイライト表示されるのですが、どれも人生の教訓になるような名文ばかりです。しかし私は上記のような何気ない比喩表現や、自然描写の部分に惹かれます。夏目漱石はこの点でも見事で、とても参考になります。

硝子戸の中

「吾輩は猫である」「坊ちゃん」「三四郎」「こころ」「行人」など、数ある名作の中で私が好きな作品は、意外にも随筆の「硝子戸の中」です。
ここには滑稽なまでに彼の人柄が描き出されていて、読んでいて微笑ましくなります。
彼は几帳面な性格で、知り合いならば面倒くさいと敬遠したくなるくらいなのですが、それが彼の主観で描かれているものだから、逆に可笑しくて愛おしいのです。後期になるに従って「則天去私」の精神に向かい、人生の理、小説への並々ならぬ努力が見て取れるだけに、随筆中の彼の「ぼやき」は、人間味があってほっとさせるものがあります。それも文章力の賜物なのかもしれませんが、いやらしい狙いがなく、日記を垣間見ているような気分になります。同時に彼の死生観について理解でき、小説を読む際の大きな手掛かりにもなります。
私は彼とは同じ立場に並ぶことはできませんが、小説を書く人間として敬愛し、作品も何度となく読み返すと思います。読んだことがない方は、ぜひ一読してみてください。

Scroll to top