猫との関係:家編

猫好きなら誰でも思うことかもしれませんが、私は猫と縁が深いと思っています。
今回は二回に分けて、猫と私の関係を紹介したいと思います。

猫と私

私と猫の関係は、三歳くらいから始まります。
父が道端にいる子猫を家に連れてきて面倒を見ているうちに、飼い始めることになりました。
しかし我が家は三人も子どもがいて、もみくちゃにされて猫は嫌な思いをしたことでしょう。

猫と私

上の写真には二匹の猫が写っています。
画面下の真ん中の姉が抱いているキジトラの白い猫が、家で飼っていた“チロ”です。
黒茶のほうは“マリ”という猫で、こちらも父が拾って祖母の家で飼うことになりました。
私は幼く猫の扱いが悪かったので、代わりにスヌーピーのぬいぐるみを抱いています。
チロは私が高校生の頃まで生きましたが、家の引越を機に弱っていきました。
猫嫌いだったはずの母は、このとき家族の中で一番悲しそうな顔をしていました。
チロも母を慕っていて、最期は母ひとりが傍らで、ゆっくり看取りました。

猫と私

新しい家は一戸建てだったこともあり、野良猫がふらふらと家に上がり込んできました。そして気がつくと勝手に住み始めてしまいました。
母は結婚する前までは犬が好きだったのですが、この頃には猫好きに変わっていました。野良猫の侵入を嫌がらない母を見て、父は再び子猫を拾ってきました。彼女は文句を言っていましたが、捨てるわけにもいかずに結局、飼うことになりました。それを繰り返しているうちに、家は猫だらけになってしまいました。

猫と私

最初にやってきた子猫が、この二匹です。奥が“すず”、手前が“つぶら”という名前です。
この二匹は生まれたてだったので本当に小さかったです。よく母はエプロンの両ポケットに二匹を入れて家事をしていました。若いときは本当に美しい猫たちで、特にすずのほうは一家のお姫様のように扱われていました。二匹はとても仲がよく、性格は違いながらもやっぱり姉妹なんだなと思いました。

猫と私

その後に飼う猫も、基本的に野良でした。彼らは皆、ひどい境遇の猫たちで、大抵は病気か怪我をしていました。上の写真は“かえで”という猫ですが、最初に外で見つけたときは片目が腐っている状態でした。逃げようとして塀をよじ上ろうとしたら、ずるずると落ちてしまったそうです。眼球の摘出手術をして、昨年まで元気に生きました。

猫と私

そして私の一番の親友が、この“ラッピー”です。
少し恥ずかしい名前なのですが、彼は近所の家で名前を付けられ飼われていました。しかし引越があり新しいマンションでは飼えなくなったため、私の家で引き取ることになりました。
当初、その家の方から「アメリカンショートヘアの子猫」と聞いていたので、みんなでワクワクしながら待っていました。しかし実際は雑種で、しかも子どもなのにすごく大きい。当時は先ほどの姉妹の子猫しかいなかったので、彼がいじめるのではないかとみんなで注意していました。
しかし私は敬遠される彼を見て少し可哀想になり、よくかまうようにしました。するとなつくようになり、私の部屋でよく一緒に寝ていました。もともと彼は、人も猫も分け隔てなく受け入れる懐の深い性格だったので、一家の人気者になるのにそう時間はかかりませんでした。私は彼が病気のときや老衰で死んでしまうとき、本当に悲しかったです。恐らく彼と同じような猫は、もう一生出会えないことでしょう。

猫と私

その他、身体に大きな傷を追った猫、蓄膿症で鼻の悪かった猫、猫エイズという病気にかかりやむなく安楽死させた猫、育児放棄をされてしまった子猫、外で人にいじめられていた猫、たくさんの猫と一緒に過ごしてきました。
気がつけば母は猫おばさんになり、家は猫屋敷と化しました。猫アレルギーだった私は耐性がついて、すっかり治ってしまいました。
母は道端で傷ついた猫を見つけては病院に連れて行き、治療を終えると同じ場所に逃がしていました。私は猫から同じ仲間のように軽く扱われていましたが、彼らは母に対して絶対的な服従を誓っています。猫だけでなく私から見ても、それは頷けます。

未だに実家に帰ると11匹ほど猫がいます。私のよく知る猫たちはもう死んでしまい、入れ替わってしまいました。今まで飼った猫を全て数えると、かるく四十匹は越えているでしょう。
猫と別れるたびに母は寂しい顔をしていますが、その光景を見ると、不老不死の物語の主人公と重ねてしまいます。やはり子どもは親よりも先に死んではいけないのだな、と猫と同類扱いの私は思います。

今は日本や中国を転々とする毎日ですが、安定した生活を送ることになったら、私も猫を飼いたいなと思っています。猫が尊敬してくれる人間になれるように、精進したいと思います。

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