猫との関係:屋外編

前回は家で飼っていた猫をご紹介しましたが、今回は屋外にいる猫について書きたいと思います。
彼らはとても魅力的で、見つけるとつい足を止めて話し掛けたくなってしまいます。

猫と私

上の写真は京都を旅したときに撮影したもの。
もう十年くらい前の写真です。この子猫は大きくなり、既に孫やひ孫が生まれていることでしょう。このときは後からもう一匹子猫が現れて喧嘩を始めましたが、母猫がいさめると二匹は大人しくなりました。
この母親の愛情は、今も子孫に引き継がれているのでしょうか。

猫と私

家の中からぷーんといい匂いがし始め、常連の野良猫たちは家主が現れるのをそわそわ待っている。
こんなふうに期待されたら、ついつい餌を与えたくなるものです。駄目とは分かっていても、彼らの魅力には勝てません。この写真は北池袋で辺りで撮影したものです。

猫と私

狛犬に乗る罰当たりな猫。
この写真も北池袋辺りの神社で撮影しました。
猫には人間の常識なんて通用しません。人の目なんて気にせず、好き勝手やっている。けれどもあの手この手で利用しようとする。甘える猫もいれば、盗んで奪おうとする猫もいる。動物も人間同様に、性格も色々あるのだなと気付かされます。

猫と私

外に暮らす猫の人生は様々です。先ほど述べたように自分のことだけ考えて、ずるがしこくしている猫だけでなく、いじめられてふてくされていたり、他者に迎合して自分を殺して生きている猫もいます。
私はそんな彼らを見ていると、人生のドラマを感じてしまいます。彼らは、人間よりも人間臭いところを垣間見させてくれるのです。

猫と私

きっとそれは命が放つ光と、それに照らされ浮かび上がる影のようなものだと思います。
誰からの保証もなく、なにも持たずに社会で生きるために、このような陰影が強調されるのでしょう。

猫と私

そして私は彼らと向き合うとき、逆に彼らに私自身の生きる様を見つめられているような気がします。
おまえはこの社会や人生をどのように生きていくつもりなのか? なんだかそう問われている気がしてなりません。思い返せば実家の猫たちにも同様に見られていた気がします。彼らも辛い境遇を切り抜けてきた経験を持っていたからでしょうか。あるいは、私が勝手に自分に問いかけているだけかもしれません。

私にとって猫とは、そういった同じ視点に立つ仲間のような存在です。
ただ可愛いだけだったら、これだけ魅力を感じることはないでしょう。猫だけでなく、動物や植物、生きるもの全ては愛玩するだけの存在ではなく、共生するに値する、尊厳を持った生き物なのかもしれません。

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