太陽は眩しく、青空も草木も瑞々しい。夏も盛りとなりました。
しかし、どこか切なさを感じます。
まだ小学生の頃、夏休みは夢の世界のように思えました。
明けてしまうのがとても残念で、悲しい気持ちになりました。
中学や高校のときは、なにかしたいと思いながらもうまくいかず、夏の残りを数えていたように思います。
楽しいけれども、終わりがくることが分かっている。
だからこそ切なく、愛しい季節でありました。
そして、夏にはお盆と終戦記念日があります。
消えていった命の儚さを感じると同時に、輝く自然との対比が切なさを強調させるのだと思います。
太平洋戦争が終結してから、今日で69年を迎えました。
私の母は終戦生まれなので、同じく今年69歳になります。
戦争の盛りを知らない母がそのような歳なので、経験した人々はかなりの高齢です。
年が過ぎるごとに、かつての痛ましい記憶がかげろうのように消えていきます。
蝉、入道雲、木漏れ日、夕立、甲子園のサイレン。とんぼ、鈴虫、浴衣、花火、夏祭り。
とても美しく、きらめく夏たち。
これらは昔と変わらず、今なお私たちを魅了します。
そしてこれらに触れたとき、かつて生きた人々の心と交わる気がするのはなぜでしょうか。
彼らもかつて命の輝きを夏に投影して、謳歌したいと願い、名残惜しく感じていたのかもしれません。
今は亡き彼らと心を通わせ、思いを知ることで、現代を生きる私たちも切ない気持ちになります。
夏はそんな、輝かしくも儚い季節です。
思い切り楽しみながらも、夏の残りを味わい深く感じたいものです。