谷内六郎の壁画

素朴なタッチ、優しいモチーフ。
皆さんも一度は目にしたことのある、谷内六郎の壁画についてお話ししたいと思います。

東京都新宿区矢来町:新潮社別館にある谷内六郎の壁画

谷内六郎は週刊新潮の表紙を二六年間描き続けた画家です。
1921年に恵比寿で生まれ、風刺漫画を書いた後「おとなの絵本」で文芸春秋漫画賞を受賞します。
そして彼を一躍有名にしたのが、週刊新潮の表紙です。
創刊時から二六年の間に1,300枚もの原画を描き続けました。

幼い頃は公害などによって喘息に悩まされ、戦後は政治風刺漫画を描くなど、急速に変化する社会に少なからず問題意識を持っていたようです。
そのためか、忘れかけた日本の原風景が絵のモチーフとなっています。

東京都港区北青山:山陽堂にある谷内六郎の壁画

東京にはいくつか彼の壁画が残されています。
私の知るかぎり、3つ存在しています。
最も有名なのが、表参道と246の交差点にあるこの壁画でしょう。

東京都港区北青山:山陽堂にある谷内六郎の壁画

山陽堂という書店の側面に、色とりどりのタイルが美しく並べられています。
調べてみると、建築途中の山陽堂を通りかかった新潮社の社長が提案して実現したようです。

東京都港区北青山:山陽堂にある谷内六郎の壁画

昭和三八年に完成した最初の壁画は現在と異なる絵柄でしたが、昭和五十年に現在のものに変更されたそうです。昭和五十年といえば、ちょうど私の生まれた年です。
同じ時間を経てきたと思うと、なんだか親近感がわいてきます。

東京都港区北青山:山陽堂にある谷内六郎の壁画

この壁画のタイトルは「傘の穴は一番星」です。
風刺漫画を描いていたこともあり、絵にはユニークなアイデアが詰まっています。

東京都北区赤羽:金竜堂にある谷内六郎の壁画

ふたつめは、南北線の赤羽岩渕駅近くにあるこの絵です。
山陽堂と瓜二つのこの壁画は、金竜堂という本屋さんが所有していたビルでした。
本屋の主人が表参道を歩いていたときに山陽堂の壁画を見て、新潮社に直接掛け合ったようです。

東京都北区赤羽:金竜堂にある谷内六郎の壁画

昭和三一年五月二九日発刊の週刊新潮の表紙が原画で、題名は「砂山」です。
雲や波のタイル張りがとても美しく、しばらく見ていても飽きません。
地元の人たちにとっては日常風景となってしまい、見上げて観賞することはありません。しかし、しばらく故郷を離れて久しぶりに戻ったときにこの壁画を見たら、きっとほっとした気持ちになるのではないでしょうか。

街は表参道に比べて賑やかではありませんが、そんな街並であればこそ、谷内六郎の絵は映えるのだと思います。

東京都新宿区矢来町:新潮社別館にある谷内六郎の壁画

さて、最後の一枚は神楽坂(矢来町)にある新潮社別館の壁画です。
姉弟が水飲み場に止まっている虫を遠くから見つめる下に「なかなかどかない」という題名が綴られています。この壁画は他の二点より小さめですが、それでも緑が美しく、微笑ましくって素敵な絵です。

東京都北区赤羽:金竜堂にある谷内六郎の壁画

彼の絵はテレビのCMや、カレンダーなどで目にする機会が多かったように思います。
とても懐かしい気持ちにさせるのは、絵そのものもさることながら、自分自身が幼い頃に過ごした昭和の時代の思い出と重なるからだと思います。

東京をぶらぶら歩いていると、たまにこういった面白い発見があります。
壁画や建物だけではなく、自分自身のなかに潜んでいた思い出なども発見することができます。
暑さもそろそろ収まって、いよいよ散歩シーズンの到来です。
皆さんも近くの街を歩いて、小さな発見を探してみてはいかがでしょうか。

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