人生の欲求

自分の成すべきこと、やり遂げたいこと、それは何でしょうか。人によってそれぞれと思いますが、根本の欲求は、ひとりになりたくないことだと思います。

自分の人生とは、何か。
何をしたいのか、何を残したいのか。生きているなかで何度も向き合う根本的なテーマです。文学や哲学でもよく取り上げられますが、私はひとつの視点として、生きているうちの欲求と、死んでからの欲求に分けられると思います。

生きているうちの欲求は、美味しいものを食べたい、お洒落をしたい、好きな人と添い遂げたい、正しい行ないをしたいなど、まさに自身の生きている時間を有意義に過ごしたいという気持ちから生まれるものです。

対して死んでからの欲求は、子孫の繁栄や、後世の人々に役立つものを残したい、生前の行ないを偉業として讃えてもらいたいなど、自分がいなくても存在感を示す行為です。
死んでしまったら何も感じないうえに、誰ひとり自分のことを覚えている人はいなくなるのでバカバカしい、と思う人も大勢いるでしょうが、人は少なからずそのような欲求を持つものです。
これは「死は孤独である」という認識が大きく影響しているのだと私は思います。

人は誰しも、孤独の不安を抱えているものだと思います。それはきっと、世の中の理(ことわり)は誰かの認識によって存在が保証されるからだと無意識に認識しているからだと思います。誰かが自分を知らなければ、それは存在していないことと同義であり、生きていたことが無意味であると感じるからです。

私もきっと、そのような理由で小説を書いているのだと思います。また、目にする何気ないものに対して興味がわくのも同じ理由です。コンクリートの隙間に生える雑草も、家によく来る野良猫も、世界史の中で一行で片付けられる国の名前も、存在があり、ドラマがあるのだと思います。彼らの存在を素通りしてしまうと、寂しさを感じると同時に興味を抱くのは、ひとえに自身の孤独に対する恐怖を感じているからだと思います。

私は生前の欲求もたくさん満たしたいと思っていますが、死後の欲求も満たしたいと思っています。しかし私の存在を知る未来の誰かは、血縁者でなくてもかまいませんし、大仰な事柄で知られたいとも思いません。ただ何かを残し、誰かの目や耳で触れて何かを感じてもらえるのであれば、それだけで満足するのではないかと思っています。

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