桜の潔さ

春は「出会いと別れの季節」なんていいますが、それを強く感じさせてくれるのは、ひとえに桜の存在があるからこそですね。今年の東京の桜も、風と雨にふかれて瞬く間に散っていきました。

東京都文京区小石川:播磨坂の桜

すぐに散ってしまうからこそ満開の花を愛しく思い、散り際の潔さに切なさを感じる。日本人の心に、桜が別れの精神として宿ったのはいつ頃なのでしょうか。私たちは人生の節目に桜を見ることによって、過去に対する惜別の思いを募らせていきました。青春をとうに過ぎた私でも、桜を見ると別れ際の切なさが込み上げてきます。

東京都文京区小石川:播磨坂の桜

しかし学生の頃に比べると、春になったからといって別れがあるものではありません。それでも季節に関係なく、別れは身近なものともいえます。たとえそれが現在進行形でなくても、過去にあった別れを思い出せば、いくらでも存在するのです。

東京都文京区小石川:播磨坂の桜

仲のよかった友人、飼っていた猫、かつて暮らした土地、愛した人。そして今もなお変わらずにいるようで、すでに遠く離れていってしまった自分自身。同じもののようで、じつは刻一刻と変化を続ける身の回りのもの。数えればきりがありませんが、すでに手に届かないものは無数にあるのです。

そう思えば、人はいつでも満開の花を咲かせては、散っているのだともいえます。とても悲しいことではありますが、出会いと別れは表裏一体です。散った後には必ず新たな出会いが待っているのだと思います。

 東京都文京区後楽:小石川後楽園の桜

私たちは過去に支えてもらいながら、後押ししてもらいながら、未来へ進んでいるのでしょう。だからこそ、潔く生きることだってできるのだと思います。
毎年花を咲かせる桜のように、潔く散りつつも、前へ進んでいければと願うばかりです。

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