都合のよい思い出

台風もいくつかやってきて、南のほうでは梅雨が始まりました。ほんのちょっと前には毛布が恋しかったのに、今では寝汗をかく夜もあります。時が経つのは本当に早いものです。

猫

約五日の周期で書いているコラムを見返すと、ページひとめくりで桜の写真が掲載されています。すでに遠ざかったと思っていた日々も、こうして見るとずいぶん最近のことだったのだなと思います。時間というのは人間の感じ方次第で、早くも遅くもなるのだなと思います。

さらに、コラムを読み返してみると、昨年の梅雨は本郷を探索しただとか、夏の時期は過ごしやすかっただとか、過去の出来事が鮮明に蘇ります。時間の概念と記憶は曖昧なものだからこそ、記録することによって頭の中で整理できるのだなとあらためて感じます。

それでも過去の出来事のなかには、忘れたいものや思い出したくもないことがあると思います。それらを日記やブログに書き留めておくべきか、書かずに無視してしまうか、迷うところではあります。私の個人的な意見ですが、それらは出来事によって選別してもよいのだろうと思います。他人に迷惑をかけないかぎりは、自分の思い出や歴史は本人の自由に塗り替えてよいのだと思います。

猫

そしてまわりにいる人々も、そんな自分勝手な思い出を持つ人に対して細かく訂正したり、追求する必要はないと思います。その人の語る思い出にやさしく耳を傾けてあげると、その人の本当に大事にしていることが見えてくるかもしれません。
「思い出を拠り所にするのは甘えだ」なんていう意見もあるかもしれませんが、よい思い出がなくなってしまったら、前を踏み出す力もわいてこない場合もあります。何事もバランスですが、思い出を大事にするのもうまく生きるためのひとつの方法なのだろうと思います。

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