不条理

私たちの生きる世界は不条理に満ちあふれています。不条理とは、道理に合わないことや筋道が通らないという意味でもあり、人生に意義を見いだせない人間存在の絶望的状況を指します。

東京都葛飾区柴又:柴又帝釈天

不条理であることは、小さなことならばそこかしこに存在しています。とりわけ人間世界には多く存在し、もしかすると人間のなかにしか存在しないのかもしれません。
その最たるものは「社会」です。特に現代では「仕事」というかたちで社会の不条理を認識することができます。本来「仕事」は、人に何かを与えて代償を得るというシンプルなものです。しかし実際は人間同士の性格の不一致や、気分によって不合理な取引が行なわれ、立場の違いによって一方に不利益な結果をもたらします。

東京都葛飾区柴又:柴又帝釈天

元々は保身のために相手を利用した人間は倫理に欠けた行動を起こし、やがては自身の身を案じることも忘れて悪鬼のような存在となります。苦しめられた人間もやがては憎悪にとらわれて、その相手だけではなく、身の回りの人々を苦しめようと落ちぶれていきます。
たかが仕事なのに、たかが生活するためだけなのにと思うことができず、視野が狭くなり自分自身の首を絞めていることに気づかないまま時間を過ごすことになります。

東京都葛飾区柴又:柴又帝釈天

これは世の中の不条理のひとつです。仕事だけではなく、情愛にも同じような傾向が見受けられます。もっとプリミティブなところでは、災害や戦争、飢餓なども不条理に含まれると思います。アルベール・カミュが主張するところでは、この不条理を克服するには三つの選択肢があると言います。
それらは自殺、宗教等への妄信、そして不条理を受け入れることです。その三つのうち、カミュは不条理を受け入れることを推奨しましたが、私もそれには同感です。

不条理を受け入れるということは、それを認識することです。つまり、世の中に意味があるなんて思わないことです。そうやって思えば、身の回りの出来事や、自身に対する仕打ちから解放されることができます。意味なんてないのだから、もっと自由にしていいのだという気持ちになれるからです。

東京都葛飾区柴又:柴又帝釈天

仕事や世の中のしがらみから解放されたときに空を見ると、とても清々しい気持ちになります。木々は青々としていて、生き物たちは生き生きとして見えます。
彼らは何も考えずに生き、争い、淘汰されます。そして秩序が保たれ、美しい世界を作ります。これこそが究極の不条理だと言えますが、彼らはそこに意味を見いだそうとしません。そのくらいに無心になることができれば、人間もこの世に蔓延する不条理から解放されるのだと思います。

東京都葛飾区柴又:柴又帝釈天

とは言っても、不条理の真っ只中にいるときは心の余裕がないものです。そんなときは無理に気持ちを整理しようとせず、ただ愚痴を言って、ゆっくり寝て、リラックスするべきです。それでも抜け出せないようであれば、その環境から思いきって逃げ出してみるのも悪くないと思います。なぜなら自分がどうしようとも、そこには何も意味はないのですから。

Scroll to top