「時が経つのは早いものですね」という言葉を、知人たちと交わすことが多くなりました。年を取ったのだなあと感じる瞬間です。
中国人でも感覚は一緒のようで、中国語で同じ意味の「時間過的很快」という言葉を伝えると、皆一様に感慨深くうなずきます。年を経る毎に時間の感覚が短くなることは、万国共通であるのだなと感じます。
先日、友人が誕生日だったのでメッセージをやりとりしたときに、知り合ってから十年経っていることに気がつきました。当時は私が三十歳、友人は四五歳でした。私はまだ中国に出張しておらず、最近よく交流する人々とも知り合っていませんでした。小説も書いていなければ、東日本大震災があることさえも気づかずにいました。
一般的に、年を経る毎に時間の価値が薄らいでいく気がするものですが、冷静に考えてみると十年の価値というのは相当なものだというのが分かります。私たちはその間に誰かと出会い、様々な出来事を通して、笑ったり、悲しんだり、苦しんだりして、かけがえのない人生を歩んできたのです。そしてその価値は、十年という単位だけではなく、一年という短い単位でも同じだということに気がつきました。
先日、東京大学の三四郎池に再び訪れました。昨年と同じ梅雨の季節で雨の中、まったく同じようなシチュエーションです。そのときに強く感じましたが、一年の間に大した出来事がなくても、心には微細な変化が刻まれてたのです。特に私は中国から日本に戻ってきたことが大きいのですが、それ以外にも仕事や知人との関係、季節や自然に対するものの見方が変わったことが、変化であるといえます。
過ごした時間がどんなものであれ、それを噛み締めて、自分の人生の一部とする。そんなふうに生きることができたら、振り返ったときに良い人生だったと思うことができるのではないでしょうか。