価値基準

価値観なんて、ひとぞれぞれ。とはいっても、人は自分以外の誰かの目を気にして価値を決めることが多いように思います。

東京都西多摩郡奥多摩

例えば子どもは成長するごとに「みんなと同じじゃなきゃいや」だとか「これでは友達に馬鹿にされる」だとか言って、今まで興味を持っていたものに見向きもしなくなることがあります。これは大人でも同じで、流行や格式などといった世の中の基準でものを選んでいます。

それは「自分の本当に好きなものを選ぶ」ということから「他人にどう見られたいか」という視点が加味されているのだと思います。

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ある日、私の知人がある観光地のセンスのよいホテルに泊まったという話をしました。彼女は日頃から高級レストランへランチに出掛けたりする、いわゆる美食家です。飾ることのない素敵な性格の方なのですが、まわりの知人が彼女の泊まったホテルにほとんど行ったことがあると聞いたとき、少しだけ残念そうにしていました。

思うに、彼女は優越感を持つことができなかっただけでなく、自分の気に入ったものが否定される怖さを感じたのだと思います。人は自身をまわりよりも高い位置に置きたい欲求があり、それ以上に自分を否定されるのが怖い生き物だからです。これは彼女だけが特別ではなく、私も含めて誰しもが持つ心の原理だと思います。

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そういったなかで、人は年を経るごとに段々と子どもの価値観へと戻っていくようにも思います。幼稚園に上がる以前の、本当に自分自身が好きだと思えるものを求め、他人の目を気にしない価値観です。

例えば、ありふれた観光地の旅館で、誰かと何気なく泊まったとします。しかし一緒に泊まったのは特別な人で、二人だけしか知り得ない時間を共有したとします。梅雨の雨雫が紅葉(もみじ)を揺らし、気の早いひぐらしが静かに鳴き、清流はゆっくりと音を立てています。旅館の従業員のおじさんは芝刈りをして、私たちに気持ちよく過ごしてもらおうと一所懸命もてなしてくれます。
そんなものは当たり前。どこに行っても、そんなものはありふれているかもしれません。しかし本当に、そうでしょうか。そのときに過ごした時間や思い出は唯一無二のものです。私はそんなありふれたものに特別を感じます。

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誰もが目に見えて特別で羨ましがるようなものは、きっと誰でも手に入れることができます。私は私だけにしか感じられない、特別なものを手に入れたいのです。そしてそれを共感してもらえる人にだけ、共有できれば嬉しいのだと思います。そういう年の取り方をしたいものですし、見方を変えれば、童心に帰っていつまでも若々しくいれるのだと思っています。

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