身体で感じて心で判断する

夏になるといつも感じるのが「寂しさ」です。生命が躍動する季節から、ゆっくりと終わりへ向かう時の儚さだけでなく、恐らくは戦争という出来事が寂しさを感じさせるのだと思います。

東京都豊島区雑司が谷:トンボ

抜けるような青空、彼方に浮かぶ大きな雲。見渡すほどにどこまでも、美しく切ない景色です。あれから今年で七十年、この景色とともに、戦争の傷はずっと人々の心に刻まれたままです。この歳月の間、戦争に向き合わずに過ごすことができましたが、最近は世の中が少し、きな臭くなっています。永田町からだけではなく、近隣諸国や遠い地の国からも、ひたひたと戦争の近づく音が聞こえてきます。但しこれは、今に始まったことではありません。

目を向けなければ気づく必要もなく、そのまま通り過ぎてしまえる状況にあったものが、情報技術の発達によって見過ごすことができなくなっています。世界もより一体化しながらも、それぞれの国の事情は変化しています。海洋の潮流のようにゆっくり渦巻いて、そこに私たちも取り込まれていきます。しかしながら、私たちが気がつかないだけで、過去には私たち自身がその潮流を創り出していた可能性もあります。武器を向けることはなくても、自分たちのささやかな生活を守るために、どこかの国の人々を苦しめていたのかもしれません。

猫

全ての人が笑い合える、そういった世界を築くことは並大抵の努力ではなし得ません。それならば、自分たちの周りだけでも幸せであればいいと思ってしまいます。しかしそれは、別段悪いわけではなく、普通の考え方でもあります。
目を閉じ耳を塞ぎ、口当たりの良いものだけを求める。大事な人と健やかに過ごせるのであれば、それでいい。突き詰めると、人はエゴイスティックな生き物です。

しかしながら、そのような気持ちを認めることができれば、遠い国の人々の願いを理解することだってできます。彼らも一様に平和を愛し、大事な人を守りたいのだと理解することができます。そしてより深く理解しようと努力するのならば、もっと外に出て人々と交流するべきです。情報技術が発達しても、人の心の底までは分かりません。会話をし、表情を確かめ合って、肌のぬくもりを感じ合うべきです。そういったやり取りが広がれば、自分の守りたい人は、国を越えて増え続けるのだと思います。

猫

私たちは国の中において、ああでもない、こうでもないと口論を続けるばかりです。情報だけを見て、実際のものを見ようともせずに、物事を批評しようとしています。広い空を眺めるだけではなく、遠い雲の大きさを見た目だけで判断するのではなく、実際にどこまでいけるのか、どれくらいの大きさなのかを知るために、自分の身体で感じ、目で見て、耳で聞いて、心で判断するべきだと思っています。

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