怒るということ

喜怒哀楽という言葉のように、人は様々な感情がある生き物です。この感情に踊らされず生きることができたなら、もっと楽に過ごすことができると思うものの、それでは人生がつまらなくあるとも思います。

東京都豊島区雑司が谷

人間以外の動物も、感情に支配されているといえます。例えば猫などは、表情は常に変わらないものの、意外にめまぐるしく感情が変化しています。嫉妬などの複雑な感情も持ち合わせていて、見ていて飽きません。

さて、その喜怒哀楽のうち、厄介なものとして「怒る」という感情があります。
怒りに身を任せるとろくなことがありませんが、私はこの怒るという感情も、人間にとって不可欠なものだと思っています。

感情というのは怒ることだけではなく、バランスが重要になります。例えば喜ぶという感情は、周りを明るくさせ素晴らしいものではありますが、それだけに徹しようとすると、必ず破綻します。なぜならば、人間の生きる世の中は、喜んでいるだけでは済まされない環境にあるからです。

喜ぶこともあれば、怒ることもあり、それぞれバランスよく感情を出す必要があります。例えば、喜びの感情を見せる場合には、相手に自身の不満を伝えることができませんし、自分自身に無理を強いることになります。本当はネガティブな感情を伴っているのにも関わらず、喜ぼうと無理をすれば、心の中で大事にしていることを見失うことにもなりかねません。自身の気持ちを客観的に観測するうえでも、素直に怒りの感情を出すことは重要です。

東京都豊島区雑司が谷:猫

私は皆が怒りの感情をどのように捉えているのかを調べるために、「怒る」というキーワードで検索してみることにしました。すると、怒ることは悪いという意見と、良いという真逆の意見に分かれることが判明しました。

怒ることが悪いと考える場合、怒りで自分を見失い、周りの人々を傷つけ、結局自分自身にも後味の悪い結果をもたらすという理由が書いてありました。しかし、これは周りのことを考えず、自身のエゴのために生きる人々に向けたアドバイスだと思います。逆に普段から周りの人々に気遣い、自身の気持ちを抑えている人々には適切でないアドバイスです。なぜならそのような人々は、自分自身の気持ちを押さえ込み、表現することもできないまま、路頭に迷っているからです。

私の周りには、幸いにもそのような心の優しい、思いやりのある人々に囲まれています。ですからそのような人々を見ると、もっとネガティブな感情を出してもらいたいと切に願います。彼らは怒ったとしても、結局は反省し、自己嫌悪に陥ります。そのようになるのであれば、大いに怒り、何に不満を持っているのか、どうして納得できないのか、自分自身の心を知る機会を得てほしいと私は思います。

怒りの原因を突き止めることができれば、冷静に対処するだけです。客観的に原因を見つめることができれば、自分自身の落ち度ではなく「それが自分の価値観だ」と評価することができます。もっと俯瞰的に見れば、より柔軟に、おおらかに物事を捉えることができます。

その結果、誰も自分を責めていないと理解できますし、怒りの対象を許容することができます。もちろんこれは、普段から自分のことしか考えず、当たり散らすことしか考えていない人には当てはまりません。全ては喜怒哀楽のバランスだと思います。

とはいえ、私は怒った後に猛省する知人をとても愛おしく、尊い存在だと思っています。しかし、そんな尊い存在であるにもかかわらず、自身を責め恐縮する姿を見て、救ってあげたいと願う気持ちが沸き上がってきます。

東京都豊島区雑司が谷

私自身はどちらかというと自分自身のことしか考えず、わがままな性格であるので、彼らの爪の垢を煎じて、心を改めなければと思う今日この頃です。

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