そぞろ歩き

人間は、自分とは異なる生き物に対して人間と同じ思考回路を持っていると錯覚します。それは生物だけではなく、無機物に対しても錯覚するものです。

東京都港区愛宕:愛宕神社の猫

例えば、野良猫に出会ったとします。憂いのある瞳や、斜めに傾けた顔を見て「物思いに耽っている」と感じてしまいます。実際のところは知る由もありませんが、彼らはただ単に夕ご飯のことを考えているだけかもしれません。

東京都港区愛宕:愛宕神社

何百年も横たわる神社の石段にだって、感情や思考があるのだと想像してしまいます。長年の間に傷が付き、さらに磨かれ丸みを帯びた表面に哲学を感じ、勝手に感化されるのです。

赤トンボ

何層にも重なる雲や、一定の周期で満ち欠けする月、季節の移り変わりによって色を変える植物たち。それらには全て感情があって、人智を超えた何かがあるのだと考えます。科学的にいえば、それらは全て否定されてしまうものですが、人は昔からそれらに対して敬意を払い、大事にしようと考えて、学んできたのだと思います。

世の中が成熟し、科学が発達したにもかかわらず、そのような考えがさらに深まっているのは不思議なことです。古代の人々が直感で学び、幾年月を積み重ね育んできた思想というのは、今更ながら馬鹿にできないのだなあと思います。

ヒヨドリ

毎度同じような生き物や風景を見ながらも、毎回少しづつ異なった印象や感動を得ることに幸せを感じながら、ぶらぶらと街をそぞろ歩く今日この頃です。

Scroll to top