新時代のおおらかさ

最近「社会は他人の失敗に厳しすぎる」と言われています。有名人の不倫やアーティストの盗作疑惑、事件を起こした犯人などがその対象です。

金魚

これは、あらゆる人々が考えているように、インターネットやソーシャルメディアによる発信力が影響していると思います。「昔はもっとおおらかだった」という声も聞こえますが、過去にSNSがあったとしたら、概ね現在と変わらない状況だったのではないかと思います。

人は自分と関係のない人に対して無責任で、人間として扱っていません。「好きだ、嫌いだ、良い、悪い」と自分の都合で解釈して、物語の登場人物のように扱っているにすぎません。政治家に対しても同じで、政治が変わったとしても自身の生活が格段に向上すると期待している人なんてあまりいないのだと思います。人は直接に関わることない人たちを、小説や映画やテレビドラマを楽しむように、無責任に扱っているだけです。

逆に、人から注目を集めたい側の人々も「イメージ戦略」として物語の登場人物のように振る舞います。見る側も演じる側も、そのイメージを通してコミュニケーションしている側面もあり、お互い様なんだなと思う時もあります。しかしながら、その戦略をとってしまった人は本来の自分と切り離すことができなくなるため、葛藤するのだと思います。それはとても辛いことかもしれませんが、意図せず注目を集めてしまった人のほうが可哀想かもしれません。

このような話題は、ほとんどが自分自身の生活に関係ありません。ただの暇つぶしにも感じますし、噂話であれば限られた友人と飲み屋で話していれば良い話題だと思います。インターネットによる情報発信が当たり前の時代となり(私のコラムもそうですし)、どのような話題や意見も世界中に届けることができるようになりましたが、もう少し現実の社会と物語の世界を切り分けて、おおらかな心を持つようにしたいものです。それはインターネットがなかった時代の人々は知りえもしない、新しい時代に必要なおおらかさなのではないかと思います。

Scroll to top