過ぎても離れても存在するもの

季節は過ぎ、日の傾きも一日ごとに変わり、草花は目まぐるしく入れ替わっています。六月もあと少しでやってきます。

スズメ

ようやく芽が見え始めたと思っていたら、辺り一面が緑に覆われて夏の雰囲気を漂わせています。ハルノノゲシは姿を消して、昨年の夏に見たムクゲが咲き始めています。このように、同じ道を歩いてしばらく眺めていた花たちは、時間が経つと枯れ落ちて、どこかへ姿を消してしまいます。また、彼方に旅立ったと思っていた昨年の花は、再び私の前に現れています。

現在とは異なる季節を思い出すとき、そんな花々が頭の中に浮かびますが、どれも過去の記憶として次第に手の届かない場所へ後ずさりしていくような気持ちになります。しかしながら、それらの花々は自身の季節以外はじっと地中に根を張るか、種となって再び芽吹いているのです。

そんな姿を目の当たりにするとき、私は最近会うことのなくなった人々のことを思い出します。仕事やいろいろな事情で顔を合わせていたのに、機会を失ってすっかり会うことがなくなった人たちです。彼らも場所は違えど、私と同じ時間を生き、今も何かを見つめて何かを感じていることでしょう。そのような、目の前にはいないけれども確実にどこかにいる人たちのことを思い出すと、なんだか励まされるような気になってきます。

そして、季節が変わるたびに再会する草花にも、同じようにあたたかな目で見つめられているような気がしてきます。いつもどこかでつながっている、そんなふうに思えるのは、とても幸せなことです。

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