老いによる変化

歳を重ねると人は変わっていきます。それが「成長」であるときもあれば、必ずしも喜ばしい変化でないこともあります。

東京都文京区大塚 護国寺:猫

先日、知人と話をしていた際に、その方のお母様の話題があがりました。歳は八十代くらいでしょうか、体調は年代相応に芳しくなく、知人が世話をしているそうです。

知人は絵を描くことが得意で、美大にも進学しました。幼少の頃からたくさん絵を描いてはお母様に見せていたようで、お母様は知人の描きためた絵を額に入れるなどして大切に保管していたそうです。

最近になって、お母様が家の荷物を整理して、不要なものは粗大ごみに出そうとしていたとき、その見積額が少し高額だったそうです。何を捨てるのかと知人が聞いたところ、お母様は知人の描いた絵を処分しようと思っていたそうです。

知人は「あんなに自分の絵を喜んでくれていたのに」と残念そうに言いました。その行為自体はもちろん、お母様の気持ちが変化していることにもショックだったそうです。確かに、私の親を見ていても、このような変化はあるように思います。

子どもは親に対して、まだ若い頃の優しく立派な姿を想像し、記憶に留めています。しかしながら、親自身はそのような姿を留めておくことは困難です。それは、身体の衰えや、友人の死などの環境の変化が要因なのだと思います。ひとつひとつ命の終焉に近づいていく恐怖や孤独によって、周りのことよりも自分自身のことに目を向けてしまうのかもしれません。

もしかすると、巷で話題になっている「キレやすい」老人たちも、似たような恐怖と孤独を抱えているのかもしれません。まだ若い私たちは彼らの気持ちを察しつつ付き合い、自分自身もなるべくそうならないように努めていくべきでしょうか。もしくは、そういった変化がある前提で、あるがままに受け止めていくのもよいのかもしれません。

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