ぼんやりとまどろみの中

台風が通り過ぎ、選挙が開催され、十月もあと少しとなり、今年も二ヶ月を残すのみとなりました。ふと立ち止まると、何もかもが夢のように儚いもののように思えてなりません。

Yangon City, Myanmar

仕事を終えて家に戻り、部屋に入ってベッドに身体を預けるとすぐに眠気が襲ってきます。そのまま夢の世界にさまよっていると、どこか現実と地続きの意識に支配されます。しかしながら、起きているときの出来事は記憶になく、夢の中での出来事が心を支配します。それらの出来事に一所懸命になっていると、次第に朝が来てすぐに記憶が入れ替わります。

宇宙は二次元のホログラムにすぎないというホログラフィック原理が世の中を賑わせたことがありましたが、感覚的になんとなくわかるような気がしてきます。海外にいるときに日本の生活を思い起こしたり、日本に戻ってきて海外にいたときのことを思い出してみても、まるで実感がわかないのは、起きている出来事が仮初めのものだからなのではないかと感じるときがあります。自分が存在するような存在しないような、周りのものが存在するような存在しないような、そんなふわふわとした感覚です。

過去の記憶も曖昧で、これから年をとって現在のことを思い出した場合でも、きっと曖昧で本当に存在していたのかどうかも自信がなくなってしまうのではないかと不安になります。ですから触れられるうちに触れておいたり、見られるうちに見ておこうと思うものなのかもしれません。

Yangon City, Myanmar

この世界から離れるときに少しだけ時間の余裕があるのなら、まどろみの中で存在していたかもしれない出来事を思い出し、懐かしく感じることができるのでしょうか。そしてそれを曖昧に感じるのであれば、あまり未練を感じずにこの場を離れることができるのかもしれません。

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