日本と海外の狭間

ミャンマー二回目の出張を終えて、東京でほっと息つく間もないまま、仕事に追われています。相変わらず自分自身のキャパシティーの少なさに落胆する日々です。

Yangon City, Myanmar

今まで私は海外を夢見て、様々な文化や習慣に触れることを夢見て生きてきました。三十代からその夢が叶い、中国での駐在を経験し、最近ではミャンマーの出張などが重なっています。
しかしながら、四十代に足を踏み込んだからか、それとも海外での生活が長かったからかわかりませんが、最近は母国での生活がとても愛おしく感じます。

この気持ちの変化は、きっと様々な要因が介在しているのだと思います。まず海外での生活は、普通の生活を過ごす上でも様々な困難が伴います。言語はもとより生活上の細かな問題も日本で解決できる何倍も労力を費やすことが多いです。また、日本にいるときには気づかなかった些細なこと、例えば自然の移り変わりなどがどこかしっくりこないことがあり、調子が狂うことがあります。シジュウカラやカワラヒワ、ヒヨドリやムクドリなど野鳥と四季の移り変わりの変化を日本で目の当たりにすると、なぜか心安らぐ感じがします。

とは言いながら、約七年過ごした中国は他の国よりもしっくりとくるのも事実です。最近関わりの深いミャンマーと比べると、言葉も分かるし知人も多い中国の方が、まだまだ親近感がわきます。人間は過ごした土地の年月と比例して、安らぎを感じるのかもしれません。

一方で、私は関わってしまうと対象を好きになってしまう特性があります。ですのでミャンマーに対しても少なからず愛着を感じているのも事実です。今現在は仕事に向き合うことで精一杯ですが、もう少し時間をとって彼らの歴史や習慣を知っていくことで、きっとかけがいのない存在になっていくのではないかと予想しています。

それでもやはり日本に地に足ついていることのほうが安心を感じ、なんとも言えない幸福を感じます。海外に出れば出るほど、このようなホームな感じが大きくなっていくことは不思議でありますが、今は色々と考えをせずに、感情の赴くままに過ごしていきたいなと思っています。日本の秋口のとても良い季節です。再び海外出張が予定に入っていますが、今は日本の美しい四季を満喫したいと思っています。

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