曖昧な記憶

自分自身が経験したことなのに、自分自身がとった行動なのに、日が経つと人はそれらの記憶が怪しくなってきます。ついこの間、会社の後輩と話をしたときに、それを強く感じました。

沖縄県国頭郡恩納村恩納:ヤギ

先日、その後輩と一緒にあるパートナー企業の方たちと飲みに行きました。そのうちの一人は以前に別の会社で働いており、その会社には私がお世話になった方も在籍していました。そのお世話になった方とはお仕事をいただいていたときに仲良くなり、プライベートでもたまにお酒を飲んだりしていました。

その方は高校生くらいまでスキーをしており、かなりの実力を持っていました。お父様が熱心に指導をされていたそうで、その方も自分の人生はスキー一色に染まるものだと思っていたそうです。しかしながら、ある理由でスキーをやめることを決意したそうですが、お父様は非常にがっかりされたそうです。その後に外国に留学されて、外資系の企業で活躍されていましたが、今もなんとなくお父様には気を使うと言っていました。

あまり頻繁に会うほどの仲ではなかったのですが、お互いの過去にまつわる踏み込んだ話を少ししていたので心に残る人でした。後輩から「そういえば、あの会社には塩澤さんと仲の良かった方がいましたね」と言われて、私も頷いていました。そして後輩は「その方と一緒にスキー行きましたよね」と言ったのですが、私はその記憶がまったく抜け落ちていて「そうだっけ?」と答えてしまいました。

もう十年以上前のことで、その頃は雪山にちょくちょく遊びに行っていたとはいえ、さすがにスキーに行ったことは覚えているものだと思いましたが、どんなに記憶を辿っても覚えていません。後輩がその際の小さなエピソードを話してくれたおかげで、そういえば写真で見たような気がすると思ったくらいです。

中学時代の友人に会ったときも、姉に会ったときも「昔にこんなことがあった」と告げられてまったく記憶にない場合があります。些細なことであれば覚えていないのもしょうがないことだと思いますが、わりと大きな出来事を覚えていない場合もあります。

このようなとき、過去とは非常に曖昧で、人間にとって事実というものはあってないようなものなのだなと感じます。楽しかった出来事を忘れてしまうのは非常に悲しいことでもありますが、逆にそれがフィクションの物語のように捉えることもできるので、ちょっとロマンチックなものでもあるなとも思います。

Scroll to top