友として、友であるために

この週末、久しぶりの友人に会いました。彼とはかれこれ十年くらいの付き合いですが、様々な場面で苦楽をともにした仲です。

沖縄県恩納村

彼とは以前に部屋をシェアして住んでいたことがあります。いわゆるルームメイトという間柄です。仕事も一緒にしていたこともあります。夜な夜な馬鹿ばかしい遊びに繰り出したり、仕事に対する思いや人生に対する思いを共有したりしました。その中でもお互いの家族の境遇が似ていたので親兄弟に対する価値観が似ていたことが、私にとって彼に対して最も絆を感じていました。

しかしながら、彼は周りからとても人気が高く、私以外にもたくさんの友人に囲まれています。冗談も面白く、一緒にいると何か楽しいことが待っているような気になります。また、人の気持ちを察してさりげなく思いやる心を持っているので、自然と彼の周りにはたくさんの人々が集まっていきます。私にとってかけがいのない友ですが、彼にとっては私はいくつもいる友人のひとりなのかもしれません。

沖縄県恩納村:イソヒヨドリ(オス)

私はほんの少しだけ嫉妬を覚えることもありますが、基本的には自分が選ばれなかったとしても問題ないと思っています。そのポジションには最愛の女性がつくべきだと思いますし、自由に相手を選び、たまたまお互いに思い合えばこそ結ばれる絆が友情だからです。

一方で、目に見えるかたちとして友情を確認することもあります。中学時代に仲の良かった友人と再会した際に、お酒で心地よくなり「俺らは親友だから」と以前から思っていた言葉を口にした時がありました。すると彼は「やっと親友って言ってくれた」と本気で喜んでくれました。私としては何度も口にしている言葉だと思っていたのですが、彼には一度も伝えたことがなかったようです。思えば大連や上海の友人とは「兄弟」と呼び合っていたのですが、こうやってはっきりとその関係を伝えることも大事なのだなと思いました。

沖縄県恩納村

しかしながら、やはり基本は相手を思いやることが大事です。思いを口にしようがしまいが、気遣って何かあったときには支えになってあげることが重要なのではないかと思います。今回、彼と会ってほんの少しだけ義理を果たすことができたので、少々安堵しています。
私は友人が少ないほうなのですが、少ないからこそ友人と呼べる彼らを大事にしていければと思います。

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