曖昧な記憶と感覚

よく私は子ども時代のことを覚えていると言われます。特にその頃に自分がどう思ったのか、感じたのかを詳しく覚えていると言われます。しかしながら、年を取るにつれて記憶は曖昧になってきています。

子猫

十年前の出来事はあっという間で、つい先日のことのように思えるのですが、よく考えてみるともう簡単には取り戻せないほど遠い出来事のように思います。子ども時代の三十年前なら尚更です。

私の三十年前といえば、小学六年生から中学一年生の頃です。多感な時期であり、今に通じるものの考え方のようだったと思いますし、あの頃の感受性が現在の人格を形成したように思います。

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当時住んでいたのは川の近くで、少し離れると人影が全くない場所がいくつもありました。雑草が生い茂り、打ち捨てられた自転車やバイクがそこら中に転がっていて、とても寂しい場所でした。あの頃はもっと賑やかで新しくて格好の良い場所を求めていましたが、同時に人々から忘れ去られた寂しい場所にも惹かれていたように思います。

今現在はどうでしょうか。あの頃、知らず知らずのうちに求めていた寂しい場所をより強く求めているような気がします。植物も目新しく美しいものを見て回りたいというよりは、子どもの頃に何気なく見ていた雑草の名前を知りたく思います。取り壊されてしまう古い建物や場所にも惹かれます。

子猫

三十年前のひとつひとつの記憶は曖昧になってきているのですが、現在も心に沸き立つぼんやりとした感覚だけは忘れずにいます。感覚なのでなんとも説明しづらいのですが、自分以外の人々もこのようなことを感じたりするのかどうか調べてみたい気がしています。

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