指導する立場

人の上に立ち、先導していくのはとても難しいものです。マネジメントを始めて随分と経ちますが、いまだに慣れないことが多いです。

東京都台東区浅草:浅草富士浅間神社

今日、若いスタッフに注意を促しました。彼は二十代後半くらいの年齢ですが、仕事の経験はそれほど長くはありません。彼は周りとの協調性がないと他のスタッフやリーダーたちから問題視されていました。そのことについて彼自身はどう思っているのかと本人に聞いてみたところ「自分自身のコミュニケーションのレベルは人並み程度で問題ない」と答えが返ってきました。

「自分では問題ないと思っていても、周りは問題だと思っている。周り気持ちを察して、批判を素直に受け入れられるかが重要なところ」と諭してみたところ、彼は「真摯に受け止めてみる」と回答しました。その答え通りに感じてくれていればよいのですが、実際はなかなか素直に受け入れることはできません。私は「自分のようにおじさんになってしまうと、どんどん他人の注意やアドバイスを受け入れられなくなってくる。若いうちに他人の言葉に耳を傾けて、成長の機会にしたらいい」と付け加えました。彼は、私の「おじさん」という言葉に笑いながら「分かりました」と返してくれました。

コミュニケーションや仕事に対する姿勢に関することは、数学のテストなどと違ってはっきりした答えがないものです。こういう場合、指導する立場でも答えに迷うことが多いのですが、迷っていてはスタッフを導いていくことができません。マネジメントは優柔不断にとって、とても難しく悩ましい仕事です。

正直、私は人の上に立つのが好きではありません。とは言いながらも二十年近くマネジメントの仕事に携わっているので、今まで私を支えてくれたスタッフたちには申し訳ない気持ちを常に抱いています。ひとりで完結する仕事を見つけられれば良いものの、たとえそのような仕事であったとしても何かしら人と関わり合い、指導していく責任を負うのだと思います。恐らくそれが、年を重ねるということであり、向き合わなければならない人間にとっての宿命のようなものなのだろうと思っています。

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