本郷の鳳明館

本郷に残る数少ない老舗旅館、鳳明館に泊まりました。本館と二軒の別館のうち、今回は台町別館に泊まりました。

東京都文京区本郷:鳳明館 台町別館

本郷は私の定番散歩コースのひとつです。後楽園駅や春日駅あたりから坂を上って樋口一葉の旧居跡を巡り、東大に到るまで住宅街を練り歩くのがお決まりのコースです。そうやって何度か散策しているうちに、趣のある旅館が点在していることに気が付きました。

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そして昨年の初夏、文京シビックセンターのイベントスペースで催されていた「歓迎!本郷旅館街」展」に行きました。この展覧会は文京建築会ユースという団体が企画をしていて、2016年に閉館した本郷の旅館、朝陽館についての記録を展示していました。そして今回泊まった鳳明館も取り上げられていました。

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鳳明館の外観を眺めては「いつかは泊まってみたい」と憧れを抱いていた私にとって、この展示会はとても刺激のあるものでした。じっくり展示を見終えた後にその足で本郷へ向かい、改めて鳳明館のまわりをうろうろしました。

明治から昭和にかけて、本郷にはいくつもの下宿が立ち並んでいたそうです。当時、神田から本郷へ学校が次々に移され、学生の下宿先の需要が膨らんだためと言われています。そして、下宿は次第に旅館へと業態をかえていきます。なお、朝陽館や鳳明館、そして本郷界隈の下宿は主に西美濃(岐阜)出身の人々が経営していたそうです。
参考:「本鄉、下宿屋ものがたり」(高橋幹夫著)「本郷館の半世紀」(高橋幹夫著)

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そして一年経った今年、鳳明館に宿泊する機会をいただきました。午後三時のチェックイン時には玄関の下駄箱はほぼ満杯で、外国人の宿泊客の名前も見受けられました。旅館の方にふたつあるお風呂の場所や食事についての丁寧な説明を受けてから、お部屋へと案内していただきました。

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「鳳明館」という名前で検索すれば、宿泊予約サイトや過去に宿泊した方のブログなどで詳細を知ることができます。また、外観や内装の写真も豊富なので、宿泊する際の参考になると思います。したがって、私は解説的な写真よりも自分の目に留まったものや建物の雰囲気を捉えた写真を掲載したいと思います。

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まず注目したいのが、懐かしい昭和の雰囲気です。かつては身近であった共同利用の洗面台の趣きが身体に染み入ってくるようでした。林間学校や臨海学校、親兄弟や地域の仲の良い家族で泊まった、あの旅館の雰囲気です。年が経つにつれ、時代が変わるにつれて、高級な旅館や歴史的価値のある旅館、お洒落なホテルなどがもてはやされ、知らずのうちに忘れかけていた風景がそこにありました。

東京都文京区本郷:鳳明館 台町別館

鳳明館も、明治に建てられた本館は有形文化財に登録されており、ふたつの別館も昭和に建てられた歴史的価値の高い建物です。しかしながら、こちらの旅館の本質は庶民が休暇を満喫できるところであると思っています。肩肘張ることなく、背伸びをすることなく、のんびりと過ごせる空間を探し出すのは、今という時代となっては難しくなってしまったのだと思い知らされます。

東京都文京区本郷:鳳明館 台町別館

もちろん老舗旅館だけあって、今日の効率重視の建築とは異なる豊かな細工が所狭しと施されています。とりわけ床の積み木細工や石の装飾は、現在では再現しづらいものになっていると思います。身をかがめて手でさすりたいほど魅力的な床の装飾は、しばらく眺めていても飽きることはないでしょう。

東京都文京区本郷:鳳明館 台町別館

床だけでなく、壁や天井、客室の至るところに細かな装飾が施されています。半世紀以前では当たり前の装飾であったかもしれませんが、今となってはそれを再現できる職人は少なくなっているのではないかと思います。

東京都文京区本郷:鳳明館 台町別館

幸いにも今の若い世代の人たちはこのような手工業の価値に気づいているので、関心を抱いてくれたら嬉しく思います。このような手工業の再興は一定数の需要がなければ成り立たないので、消費する側の価値の再評価、再発見が必要なのだと思います。

東京都文京区本郷:鳳明館 台町別館

さて、鳳明館で働いていらっしゃる方々と束の間の交流をさせていただいたのですが、皆さん一様におもてなしの心を持っていました。建物はどうしても古くなってしまい、修繕も難しくなっているのだと思いますが、館内は清潔に保たれていてとても快適でした。これもひとえに従業員の方々の日々の努力の賜物であるように思います。

東京都文京区本郷:鳳明館 台町別館

「お金を払っている客に対して横柄な態度をとるべきではない」ですとか、「支払い分の働きをしているのだから、それ以上は求められたくない」ですとか、それぞれの立場での論理的な考え方はあると思います。しかしながら、その前提は人と人との関係であり、その関係を少し大事にすれば相互の利益に繋がります。過去においては当たり前のことではありましたが、現在では少し状況が変わりつつあります。しかしながら、鳳明館で働く方々は今でもきちんと実践されていて嬉しく思いました。翻って、私自身が粗相をしていないか心配ではあります。

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鳳明館は某有名アニメの舞台になったり、コスプレ企画の会場になったり、若くて新しい分野の人々から注目されているようです。感度の高いこれらの人々だけでなく、さらに多くの人々が利用すれば、成熟した日本の文化をさらに高めることができるのではないかと期待しています。

東京都文京区本郷:鳳明館 台町別館

新たな価値を創出する宿泊施設は数多く作られていますが、一昨年閉館した朝陽館のように長年続き、多くの人々に親しまれてきた施設がなくなっていくのは本当にもったいないと思います。良いものに古いも新しいもなく、それぞれに魅力があります。鳳明館はいつまでも末永く営業を続けてほしいと思います。

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次回は本館や森川別館にも泊まってみたいと思います。こうやって自分の好きなものが増えていくのは、本当に有意義なものです。このコラムを読んで、鳳明館に泊まってみたいと思う方がいらしたら、とても嬉しく思います。

鳳明館
本館・台町別館:東京都文京区本郷5-10-5
地下鉄丸ノ内線、大江戸線「本郷三丁目」駅下車徒歩8分、地下鉄三田線、大江戸線「春日駅」徒歩5分

森川別館:東京都文京区本郷6-23−5
地下鉄丸ノ内線、大江戸線「本郷三丁目」駅下車徒歩10分

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