東向島は以前から気が向くと出かけていた場所です。先週末、東向島に用事があったついでにひさびさに玉の井があった場所を散策しました。
最近は墨田七福神めぐりなどで東武伊勢崎線の西側あたりを訪れていましたが、東側をゆっくり歩くのは数年ぶりです。この辺りは昭和三十三年まで私娼街の玉の井がありました。永井荷風の「濹東綺譚」など多くの文芸作品に登場するこの地に惹かれ、かつての遺構を探しに歩いたものです。
一番最初に訪れたのは、もう十年以上前でしょうか。すでにその頃も当時の面影を残す建物は少なかったのですが、先週末訪れて益々数を減らしていることが確認できました。
隅田湯も閉業していました。隣のコインランドリーを覗くと中身は空っぽです。Twitterで確認すると2016年の大晦日に閉めてしまったそうです。
建物ごと取り壊してしまうのか、それとも他の銭湯のようにアートギャラリーやライブスペースなどに利用されるのかはわかりませんが、時代の趨勢には逆らえないものです。
入り口の曲線がカフェー街の雰囲気を彷彿とさせる独特のデザインで、玉の井ならではと思います。これを歴史的建造物ととらえるか、古びた安っぽい建物ととらえるかは人によって価値観が異なるのかなと思います。
東向島に六十年以上店を構える方とお話をする機会があったのですが、街の名前を変え、建物を替え、この地で作られた歴史を覆い隠そうとしているようで非常に残念だとおっしゃっていました。当時の玉の井がどんなものだったか私は知る由もありませんし、現在ここに生活する人々の考え方もさまざまなのでなにがよいとは断言できません。
ただ、かつて私たちと同じように一所懸命生きていた人たちの記憶が失われてしまうのは残念なように思います。私の祖母が芸者として働いていた荒川区の尾久に行っても同じように感じます。
私の故郷である東京は、新しいものが古いものにとってかわり、めまぐるしく変化していく都市です。この新陳代謝があればこそ東京の個性が生まれるものですが、初老に届いた四十過ぎの私は少々気後れしてしまうのも事実です。