終戦の日に

八月十五日は終戦記念日ですね。八月六日は広島、九日は長崎への原爆投下、太平洋戦争だけでいえば1941年から1945年までの長い間、多くの尊い命が失われました。

東京都豊島区東池袋:東池袋中央公園

日本では過去にいくつもの戦争をおこし、また、世界の各地では今も戦争が相次いでいます。しかしながら、私たち日本人にとって「戦争」といえば、やはり太平洋戦争を真っ先に思い起こします。

両親は終戦直後に生まれたので、戦後からの思い出しか語れません。亡くなったふたりの祖母は、戦時中よりも戦後の苦労を語っていました。また、私が小学生だったときに担任だった年配の先生は、戦争よりも関東大震災の苦労を語っていました。皆どうして同じように戦時中の話をしなかったのかはわかりませんが、書物などを漁れば簡単にその当時を想像することができます。

コスモス

私は現在、ある分野について興味本位でいろいろと調べています。それは食品業界についてのことなのですが、戦前、戦中、戦後でさまざまな苦難が立ちはだかったという情報が手に入ります。

食品を生産して生計を立てていたけれども戦争が始まって原材料が配給制になり、思ったように作ることができない。家族や自分自身の生活が成り立たなくなるのではないかという不安は、少しの想像力があれば容易に感じとることができます。

原爆や空襲など、生死にかかわる直接的な事柄を排除したとしても、普通の生活ができなくなるという不安でさえ、とても恐ろしいものです。家族や自分自身が怪我や病気だったら、住む家がなくなってしまったら、生活の糧を得る手段が絶たれてしまったら、本当に心細く不条理で、居ても立っても居られないでしょう。

直接的な死の恐怖に直面したならなおさらですし、さまざまな不幸が戦争によって引き起こされます。

空と雲

日本に住む人の大半がこの悲惨な戦争の影響を直接的、または間接的に受けており、ふたたび同じようなことが起こらないことを心底願っています。想像するだけでむごくて恐ろしい、そしてその想像よりもはるかに深刻な困難が待ち構えています。

しかしながら、どのように戦争を回避するかという手段においては、人々の意見は分かれるようです。憲法の捉え方、隣国や関係国との関わり方などさまざまな解釈があります。私はその異なる考え方を持つ人々が一様に「ふたたび戦争は起こしたくない」と心底願っていると信じたいと思っています。

アブラゼミ

夏のこの時期になると、本当に目に見える景色を美しいと感じます。八十年前の人々も同じ景色を見て、いったいどのように感じたのでしょうか。

私はこの景色を眺めていると、時空を超えて彼らと会話をしているような心持ちになります。

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