母の命日の週末に墓参りに行ってきました。霊園は一年前と変わらず、静かで穏やかでした。
最寄りの駅から霊園まではすこし距離がありますが、天気がよかったので歩いていきました。すこし風が強くて寒かったのですが、植物たちが芽吹いているところを見て春の訪れを感じることができました。
霊園は納骨のときから変わっておらず、穏やかな雰囲気でした。線香に火をつけるのに手間取りながらも、何事もなく墓前で手を合わせることができました。
区切りというのは不思議なもので「あの頃から一年経った」と自然と振り返ってしまうものです。慌ただしく心の整理がつかないまま動いていた一年間の自分が抜け殻のように、距離をおいて眺められます。
毎朝自宅にある位牌の前で手を合わせているためか、母は家と霊園のどちらにいるのだろうと疑問に思いました。家は母が暮らしていたときからあまり整理をしておらず、猫たちも変わらず過ごしています。そのため、家に住みついているのではと感じていますが、骨は霊園にあるのです。自分が死んでみないとわからないことですが、とりあえず母を思う気持ちを持ち続け、世の中の慣例にならって墓参りには行こうかと思っています。
母が祖母の墓参りしていたときと同様に、帰りに途中下車して鰻を食べました。こうして人の営みは受け継がれていくのだなと実感しつつ、歯車に加わる安心感を得たような気がしました。墓参りに付き合ってくれたパートナーにも感謝しながら、人と結びつくことの大切さを感じました。