悠久に佇む公孫樹

二十四節気は大雪(たいせつ)が始まり、冬に本格的にさしかかろうとしています。この節気が過ぎると冬至となります。ケヤキやモミジの紅葉が美しい時期でもあります。

東京都文京区目白台:水神社の公孫樹

紅葉といえば、私が執筆した小説「センチメンタル」の舞台となった文京区目白台の水神社(水神神社)の公孫樹も色づいていました。

東京都文京区目白台:水神社の公孫樹

過去も何度も訪れており、このコラムでも紹介しました。つい先日に訪れましたが、まるでひとつの山のように葉が茂り、それらが美しい色彩を放っていました。

東京都文京区目白台:水神社の公孫樹

この公孫樹は2本横並びに立っており、樹と樹の間が本殿へと続く参道となっています。神田川を見下ろす目白台の崖の際(きわ)に生えているので、下から見上げるとその雄々しさが強調されます。

東京都文京区目白台:水神社の公孫樹

少し先には椿山荘が見え、天気が良いと初冬の高く澄んだ青空が背景となり清々しさを感じます。葉と枝の間にはヒヨドリやスズメたちがせわしなく動いていて、厳しい季節の前の生命の輝きを楽しむことができます。

東京都文京区目白台:靴を履いた亀

以前はあまり注目されることがなかったように思いますが、最近は散歩ブームなのかこの公孫樹を眺めるために人々が集まっているように感じます。靴を履かせた亀を連れた男性もいて、辺りは和やかな雰囲気に包まれています。

東京都文京区目白台:水神社の公孫樹

さて、このように立派な樹々を眺めていると、彼らの過ごした長い年月を想像してしまいます。種から発芽したのか挿し木から成長したのか分かりませんが、最初は子どもの身長よりも低かったことでしょう。周辺の風景や環境もめまぐるしく変わったことでしょうし、その間に何を感じてきたのでしょうか。また、彼らは毎日移り変わる天気や季節を肌で感じ、枝を伸ばし葉の色を変えてきました。葉を落とす瞬間、再び芽吹く瞬間、全てを受け止めながら、そこに静かに立っています。一体、何を感じ、思っているのでしょうか。幾千、幾万の人々と出会いながら、訪れる人が移り変わる様子をどのように感じているのでしょうか。こうして私がコラムを執筆する今も雨風にさらされながら、変わらず同じ場所にいることでしょう。それらを想像すると、不思議と私は安堵するのです。

東京都文京区目白台 水神社:猫

私はあと何年、この公孫樹と触れ合うことができるのでしょうか。おそらく私の方が早くこの世から去ってしまうのでしょう。できれば生涯を閉じたあと、私は彼らに寄り添える場所で過ごしてみたいと思ってしまいます。

樹というのはそのような心の拠り所を与えてくれます。神社が御神木として崇めるのもうなずけるような気がします。

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