一年のさまざまな出来事を総括するように、秋の終わりは植物が綺麗に色づきます。動物たちも厳しい冬に備えて、忙しくもあたたかな太陽の恵みを満喫します。
このコラムを掲載する少し前の十二月の初旬、お気に入りの雑司が谷と目白台周辺をぶらぶらと散歩しました。この地は私の小説「センチメンタル」の舞台になったところなので、登場人物の結希と啓介になったつもりで、路上のさまざまなものをつぶさに観察しました。
神社や公園はイチョウが黄色くなり、ケヤキの落ち葉がふんわりと地面に積もっていました。小説の一場面のモデルとなった目白台一丁目遊び場も秋の装いで、遠くの風景を囲む額縁が渋い色に変わっていました。
野良猫も日向ぼっこのために顔を出し、太陽色の毛をキラキラと輝かせています。小説に登場した猫の梅子もこんなふうに日向ぼっこが好きだったことを思い出します。太陽と猫は本当に愛称がよく、私が古代に生まれていたら、猫を太陽の眷属だと解釈したことでしょう。
住家の庭先に実る柿の木にはメジロが集まっていました。警戒しながらも柿をほおばり、もうすぐやってくる厳しい冬に備えています。彼らの萌黄の羽色は美しく、目の周りの白いリングは可愛らしく、見ていて幸せな気持ちにさせます。
そして今回のハイライト、水神社(水神神社)の公孫樹です。
小説の最も重要な場面に登場するこの樹は、兄弟や夫婦のように仲良く二本が並んでいます。しかし遠くから見るとひとつの樹のようにも見え、その見事な姿に圧倒されます。
太陽が黄色い葉を照らし、太い幹が黒い影となってゆったりと佇んでいます。
下から見上げると、遠くの方まで複雑に葉と枝が重なり、現世にいることを忘れてしまうくらいの美しさが心の中まで染み渡ってくるようです。
太い幹は厚く固い皮に覆われていますが、逆にその中にある豊かな生命を感じます。御神木として木々を崇めた人々の気持ちが理屈を超えて、素直に共感できる瞬間です。
水神社の歴史は三百年なので、公孫樹はおそらくそれ以前から存在しているかと思います。毎年繰り返し葉を黄色に染めて、人々の生活を上からやさしく見守ってきたことでしょう。スズメもこの樹にとまりながら羽を休めていましたが、その姿を見ているとかつてこの樹を見上げた人々の人生を垣間見るような気持ちがしてきます。
お金の有無しにかかわらず、健康や不健康にかかわらず、生活の苦楽にかかわらず、このような風景を見た人々は、とても豊かな気持ちになれることでしょう。遠くの有名な場所に行かなくても、身近なものに目を向ける気持ちさえあれば豊かな人間になれるという証拠のような気がします。
今回の散歩では、もっとたくさんの美しい風景を目にしました。もっとご紹介したいところですが、長くなってしまうのでこの辺りで終えたいと思います。皆さんがお住まいのところにも、きっと心を豊かにさせるものが隠れていると思います。ゆったりと時間を作って、散歩をしながら季節の終わりを楽しんでみるのはいかがでしょうか。