人の営み

人の営みはひっそりと、誰に知られず行なわれます。街のなかに見えるものは一握りで、実は多くの人生が存在していたことに気づくことがあります。

とある賑やかな繁華街、そこは古く歴史のある建物や、新しい店舗が乱立するエリアです。つい先日、私はそこで食事をしながらお酒を飲み、ほろ酔い気分で街を歩いていました。すると、きらびやかな店舗の隙間に、ひっそり佇む旅館を発見しました。

普段だったら尻込みしてしまうほどの古ぼけた建物でしたが、酔っていたせいもあり好奇心が勝っていたようです。私は扉を開けて暗い建物の中に入り、誰かいないか確認しました。すると老夫婦が現れたので泊まりたいと告げてみると、彼らは慌てながらも丁寧に応じてくれました。

急な階段を上がり部屋に通されると、女将のお母さんは色々とお話ししてくれました。彼らは中国人で、日本に生まれてずっと過ごしてきたそうです。そして旅館を経営して、外国人を宿泊させているそうです。
部屋は古いものでしたが、きちんと整理され泊まるぶんには問題ありませんでした。白塗りの壁や、ペンキが飛び散った戸棚など、中国の住宅を思わせる風情がありました。普通の日本人なら新鮮と思うかもしれませんが、私は中国生活が長かったので、むしろ懐かしく感じました。

お母さんによると、旅館に長く暮らしているお客さんもいるそうで、彼らの生活は決して豊かなわけではないそうです。建物は古くなってそこかしこが傷んでいたのですが、新しいものに変えようとする気持ちもないようでした。
繁華街の一等地に位置しているのでさまざまな発展を望めるでしょうが、ご夫婦は現状を変えようとする気持ちはないようでした。
それはあきらめでもなく、現状に満足しているわけでもなく、怠惰でもない、うまく言い表せない雰囲気があり、それが彼らの生活として染み付いているような気がしました。旅館を経営して五十年以上になるようですが、一晩の好奇心で訪れた私のような人間には意見をすることができない、重みを感じさせるものが存在しました。

この旅館は簡単には作り上げることのできない歴史深い空間でしたが、それを知る人はかなり少ないのだと思います。また、街で建物跡地の記念碑を見かけることがありますが、それらも刻まれた文字だけでは計ることができないドラマがあったのだと思います。さらには、なにも残されていない場所にも営んできた人生や歴史があったのではないかと思うと、とても感慨深く思います。

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