多くの著名人が眠る墓地、雑司ヶ谷霊園。
「センチメンタル」の舞台になるこの墓地は、私にとって大好きな場所。
文京区と豊島区の境に広大な土地を有しており、中に入ると都内であることを忘れてしまいます。
脇には都電が走り、池袋や護国寺にも面しているため、墓地にしては人の往来が多いのも特徴です。
たくさんの草花、樹木が生い茂り、都内の鳥たちも羽を休めにやってきます。
もちろん人間たちも、心を休めにやってきます。
墓地を守るようにして枝を伸ばす樹木は、欅(ケヤキ)、椋(ムク)の木、プラタナスなど、驚くべき種類の多さ。
木陰もたくさんあり、猫たちものんびり昼寝をしています。
主人公である結希は、この墓地を怖いところではなく、安らぎの場所として捉えています。信頼できる啓介の紹介だからこそそのように感じたのかもしれませんが、地元の人々も同じように感じていると思います。
実は私の母もこの雑司が谷に住んでいたことがあり、地元の人間だったひとりです。母はよく犬の散歩にこの墓地を使っていたそうで、夜も平気で歩いていたそうです。
私も茗荷谷に住んでいた頃、鬼子母神辺りにある会社から家まで歩いて帰るときは、よくこの墓地を通って護国寺に抜けたものです。
よく知人から変な感覚だと言われるのですが、墓地にいると落ち着きます。
死というのは喜ばしいことでは決してなく、自分が死ぬことを考えると落ち着いてなんていられません。
また大切な人の死や、残酷な死を目の当たりにすると、心を痛めずにはいられません。
悔しくて死んでいった人々もたくさんいるでしょうし、残されて悲しい気持ちでいる人々もたくさんいるでしょう。墓地にくるとそういったことを考えずにはいられません。
でも普段は考えることのない、自分以外の人に目を向けるよい機会になると思います。
いなくなってしまった人たちのことを思い、心を痛めたり、懐かしく思ったり、慰めたり、慰められたりする。そういう気持ちが集まる墓地というのは、やっぱり落ち着くものなのです。
結希も啓介も墓地の木々に囲まれて、きっとそんな気持ちになっていたのでしょうか。
登場人物を描いたのは私自身ではありますが、自分を投影しているはずが、気がつくと人物に勝手に個性が生まれていき、時々わからなくなることがあります。
そんな未熟な腕を補うように、できるだけ登場人物と同じような空間を訪れて彼らの気持ちを確かめるようにしています。
実は、物語に出てきた兄弟のお墓は実在します。
中学生の頃にそれを発見して記憶に留めていたのですが、今回小説を書くことで二十年ぶりに捜しにいきました。記憶が曖昧だったので知人と広い敷地をうろうろ歩き、ようやく発見できました。
その二つの墓石を発見したとき、なんともいえない感動がありました。傍から見たら、かなり怪しい行動ではありますが、私にとっては大事な思い出の振り返りとなりました。
私の小説を読んで霊園に赴く物好きな方はいないでしょうが、興味があればぜひ見つけにいってみてください。この地図でいうと、上のほうを探してみるとよいかもしれません(因みに北は右側になっています)。
谷中や青山も私のお気に入りの墓地ですが、雑司ヶ谷霊園はなにか特別な縁を感じます。
好きな作家の夏目漱石と永井荷風のお墓もありますし、母の地元でもあります。
そうでなくても美しい自然は魅力的ですし、近辺の目白台や音羽の街には風情があります。
「センチメンタル」にはこの墓地以外に、近くにモチーフとなった場所がたくさんありますので、また次の機会にそれらの紹介をしていきたいと思います。