切ない宇宙のキーワード

夜空を見上げて、思いを馳せる。
月の満ち欠けに心をときめかせ、季節の星座に在りし日を偲ぶ。
このように夜空を楽しんでいる人は多いことでしょう。
しかし夜空には他にも無数の楽しみ方があります。想像力を解放して、無限の宇宙を旅したとき、私たちは自由な存在になることができます。でも、そこには少しだけ感傷的な気持ちも混じっています。
今回はそんな少し切ない、SFファンにはおなじみのキーワードを紹介したいと思います。

Solar System Portrait - 60 Frame Mosaic

Solar System Portrait – 60 Frame Mosaic, Credit: NASA JPL

ボイジャーとパイオニア
言わずと知れた2隻(4隻)の宇宙探査機です。パイオニア10・11号は1972年と1973年、ボイジャー1・2号は1977年に打ち上げられ、土星や木星など、外太陽系の調査において偉大な功績を残しました。私は1975年生まれなので、少年時代に手にした宇宙図鑑には、この探査機たちの写真がたくさん掲載されていました。現在はボイジャー1号が188億キロ、2号は154億キロ、パイオニア10号は164億キロ、11号は133億キロ離れた場所で、旅を続けています。
私はこの探査機たちのミッションを知ったとき、胸を躍らせた反面、とても切ない気持ちになりました。誰もいない宇宙に独りで旅をするなんて、自分なら耐えられないと思いました。

そしてそんな切ない気持ちは15歳のときに蘇ります。1990年にボイジャー1号は太陽系の惑星たちを一同に集めた写真(上の写真)を地球に送り、外宇宙に旅立ちました。
見渡せば、生まれ故郷である太陽系がすっぽり視界に入っている。そして惑星たちは、豆粒のように小さくなっている。もう二度と戻れないのだという諦めと、郷愁が入り交じった写真だと思います。
恐らく私たちの世代の人たちは、同じ思いでこの探査機を見送ったことでしょう。パイオニア・アノマリーを扱ったライトノベル「人類は衰退しました 3」の作者、田中ロミオさん(彼は73年生まれ)もきっと同じ思いを抱いていたのではないでしょうか。

Bright star Alpha Centauri and its surroundings

The bright star Alpha Centauri and its surroundings
Credit: ESO/Digitized Sky Survey 2 Acknowledgement: Davide De Martin

アルファ・ケンタウリ
ボイジャーたちからもう少し先へ進んでみましょう。そこには、私たちの住む太陽系から最も近い恒星、ケンタウルス座アルファ星(アルファ・ケンタウリ)があります。3つの恒星から成り、最近ではその周りを回る惑星も発見されました。因みに日本のある北半球側では観測することができません。

4.39光年しか離れていないので、人類が到達できる可能性が最も高い恒星です。とはいえ、光の速さで4.39年なので、今の技術では生きているうちに到達することはできません。ボイジャー1号の速度の場合、到達まで8万年かかるといわれています。

なぜこの星が切ないかといえば、この届きそうで届かない距離がポイントです。
1950年代に計画されていたオリオン計画では、原子力推進ロケットを用いれば光速の30分の1のスピード(秒速1万キロ)で、140年あれば到達できるといわれていました。もっと頑張れば、人の寿命の続く間に、なんとか片道でも到達することができるかもしれません。
さらに亜光速ロケットやワープ航法があれば、一瞬で到着できるかもしれません。4光年であればウラシマ効果による時間差もあまり起きないでしょう。しかしながら、太陽系から最も近い星であるため、人類はそのような特殊な技術が生まれる前に、この星を目指すことでしょう。
地球に戻ることなく片道切符で向かう、もしくは地球に帰ることができても何十年とかかってしまう。きっと、そんな悲劇が生まれます。アルファ・ケンタウリにはこのように、かつての大航海時代に存在したノスタルジックな切なさを秘めています。

またこの星は何度もSF小説に取り上げられているので、少年時代にこの星に触れた人が多くいると思います。宇宙に憧れた日々が、届きそうで届かない微妙な距離感とともに、ほろ苦い気持ちにさせてくれます。

私がアルファケンタウリで思い出すのは、鶴田謙二の「Spirit of Wonder」という漫画の1編です。4.39光年離れた恋人たちの、切なくもコミカルな話です。

Chandra image of Sgr A

Chandra image of Sgr A
Credit: NASA/CXC/MIT/F. Baganoff, R. Shcherbakov et al.

いて座A*(エースター)
私たちの住む天の川銀河の中心、いて座A*(エースター)。2.6万光年先の電波源で、大質量のブラックホールがあると言われています。
天の川銀河は、ここを中心に回っています。厳密にいえば、銀河の中心には超星団やブラックホール、星間物質などがあるので、いて座A*だけが銀河を支配している訳ではありませんが、重要な存在であることは確かです。

足下からずっと下にある地球の中心、そこから太陽の中心、そしていて座A*へと繋がっている。私たちにとって恐らくとても縁の深い場所なのに、とてつもなく離れた存在。普段は全く意識せず、興味がなければその存在すら知らないで一生を終えてしまいます。

私は広大な宇宙で、この銀河の中心とちっぽけな自分が繋がっているという事実が不思議に思えてなりません。そして、この場所に支えてもらいながら生きていることに安心します。どこか自分の祖父母と繋がっているような、肉親のような絆を感じます。
ボイジャーも、パイオニアも、遠くなにもない場所に放り出されたままではなくて、なにかしら銀河と干渉しあって旅を続けているのです。しかしそんな安らぎと同時に、生きているうちには辿り着くことのできない永遠の寂しさも感じます。

見えない場所で、惹かれあっている。誰もいない場所へと旅をしても、必ず繋がっていてくれる。そんないて座A*の存在は、切ない温かさを感じずにはいられません。

The Hubble Ultra Deep Field,

Hubble Ultra Deep Field, HUDF
Credit: NASA, ESA, S. Beckwith (STScI) and the HUDF Team

宇宙の地平面
今度は天の川銀河を離れ、もっと遠い場所へ想像を移してみましょう。
宇宙の果て、「宇宙の地平面」と呼ばれる彼方です。
宇宙は約137億年前に誕生してから猛烈な速度で膨張を続けています。距離に比例した速さで遠ざかっており、今では光の速さを超えています。
相対性理論をご存知の方は、光速よりも速い物体なんて存在しないと思っている方も多いことでしょう。しかし私たちの世界と相互作用のない物体、つまり情報伝達が行われないものは、光速を超えていても相対論的因果律においては全く問題がないそうです。ゆえに光速以上の物体は存在するようです。

私たちの見ることができる宇宙の果ては、465億光年先だそうです。宇宙の年齢が137億年なのに465億年先が見えるのは、宇宙の膨張と赤方偏移という現象が影響しています。説明すると長くなってしまうので省略しますが、とにかくそれ以降は見ることも、行くことも、存在することもできません。
さて、相対論的因果律の外にある世界には、なにがあるのでしょうか。ぎりぎりの淵にある銀河から、宇宙の地平面はどのように見えるのでしょうか。そして、光さえも振り切って進んでいく宇宙に感情があるのだとしたら、彼らはどのような気持ちでいるのでしょうか。漆黒の闇へ向かい、自分たちのいた世界と断絶する。つい私は「宇宙の果て」と「心の深淵」という言葉を結びつけてしまうので、宇宙の地平面を想像するとき、ボイジャーたちと同じように孤独で切ない感情を抱いてしまいます。

宇宙の地平面で思い出す物語といえば、小松左京の「眠りと旅と夢」(「アメリカの壁」収録)です。ミイラの神官の宇宙旅行の話ですが、夢と現実の狭間、瞬間と永遠の間にある超現実的な世界へと私たちを誘(いざな)います。

WMAP (Wilkinson Microwave Anisotropy Probe) image of the CMB (Cosmic microwave background radiation) anisotropy

9 year WMAP image of background cosmic radiation (2012)
Credit: NASA / WMAP Science Team

平行世界・平行宇宙
宇宙の果てのそのまた先にあるもの、もしくは自分たちの近くにあるかもしれないもの。それが平行世界です。この領域までいくと、理系でも文系でもない美術系(美大出身)の私には理解できません(正直にいうと「ボイジャーとパイオニア」から分からないことがたくさんあります)。

この分野を知る良書として、ブライアン・グリーンの書いた「隠れていた宇宙」があります。最先鋭の物理学者たちが研究している多世界理論を、一般の人たちにも分かりやすく伝えています。とはいえ完全に理解することは難しいのですが、上巻の第1章では平行世界の考え方を端的に説明していました。

それによると現在の量子力学では、あるひとつの結果が生まれる確率を予測することはできますが、どちらが実際に起きるかという予測はできないそうです。恐らく、未来の予想を100パーセント的中させることはできない、という意味だと思います。このことから「結果はひとつだけ」という認識自体が間違っているのかもしれない、という考え方が一般的になりました。この考え方は「全ての結果は別々の宇宙に存在するかもしれない」という多世界のアプローチに繋がっていきます。

もしも複数の世界が存在していたら、そしてそれらの世界に自由に行くことができたなら、私たちは異なる選択をした自分自身に出会えるし、時間を遡ることだってできるかもしれません。
しかし私たちは三次元空間、時間を加えると四次元時空のなかで生活をしています。時間は不可逆で、結果はひとつしかありません。残念ながら現在のところ、他の世界に行く術はありません。
存在しているかもしれないのに、触れることができない。小説や映画でも何度も取り上げられてきたように、平行世界にはそんな切なさが満ちあふれています。夜空を見上げるとき、宇宙に思いを馳せるとき、ボイジャーたちや銀河の中心、宇宙の果てを通って、平行宇宙へと切ない思いは巡ります。

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