信頼関係の構築

寒い日もありながら、すでに冬の外套を着られないほど暖かくなりました。二十四節気では清明ですが、あと一ヶ月も経てば立夏に差し掛かります。

親猫と子猫

暖かくなれば様々な生命が生まれ、活気を帯びてきます。家の近くにいる野良猫も子どもを何匹か産んだようです。親猫は赤ん坊の頃から知っていますが、子猫を産んだ途端に母親らしくなりました。
しかしながら、これまで野良猫を数えきれないほど観察していたので、その「母親らしさ」も永遠でないことを知っています。母猫は成長した子猫には見向きもしません。それでも、生まれたばかりの頃は甲斐甲斐しく子猫の体を舐めては周りに注意を向けて外敵から守っています。中にはきちんと子猫の面倒を見ない猫もいますが、大概の猫はきちんと子猫を心配します。誰に教わったわけでもないのに面倒を見るのは、やはり母性本能のなせる技でしょうか。

親猫と子猫

猫だけでなく、スズメやシジュウカラなどの野鳥にも母性本能があるように思います。鳥の場合は母親だけでなく父親も愛情を持って雛に接しています。一方、メダカなどは針子(稚魚)が卵から孵った途端に餌として食べてしまうので、自然界の母性本能は一概に説明できる代物ではないのかもしれません。

人間の場合はどうなのでしょう。人間には知能があり、教育や文化に左右されるので本能だけで子どもを愛しているわけではないようです。また、子どもが大きくなると、母性本能というよりは親子のコミュニケーションで信頼関係が変化するようです。長く一緒にいるから信頼できるわけでもないし、戸籍が一緒だから信頼しているわけでもありません。子どもが小さい頃ならいざ知らず、人としてそれなりに大きくなると、信頼関係はほぼすべてコミュニケーションで築かれるようです。

他人同士の信頼関係はどうでしょう。これはまさにコミュニケーション以外の要素はありえません。長く付き合った年月もありますが、それはコミュニケーションの実績が多いからこそであり、友人でも恋人でもコミュニケーションこそが信頼関係を構築する唯一の手段なのではないかと思います。

親猫と子猫

相手が自分のことを強く思ってくれなかったり、更にきちんと分かるように表現してくれないと納得しない人もいます。例えば、恋人に用事があって会えなくなったとき、理解していても納得できないこともあります。用事の大切さも分かるから自分のために無理してほしくないと思っていたとしても、一言「用事はいいからあなたに会う」と言ってくれれば、気持ちよく用事のために送り出すこともできるというものです。人間が知能を持ち言葉が使えるからこそ、信頼関係の構築が複雑になっているのだなと思う今日この頃です。

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