立春にもやもやと

ついに立春がやってきました。一年の始まり、春の始まりは、喜びに満ちています。

東京都文京区目白台:梅

現代の日本においてはお正月のある一月、年度末や卒業と入学のある三月や四月のほうが一年の区切りを感じますが、最近の私は立春のほうがしっくりくるようになりました。中国での生活が影響していることもあるのでしょうが、どちらかというと季節的なところです。立春を過ぎれば雨水(うすい)、啓蟄(けいちつ)と、春らしい節気が続きます。
雨水は雪が雨に変わって雪が溶け始める頃、啓蟄は土から虫が這い出してくる頃を指します。

そして、啓蟄を越えると春分です。春分は太陽黄経が零度になり、昼と夜の長さが同じになる頃です。この頃には大分暖かくなり、植物などが息を吹き返してきます。クリスマス頃の冬至もそうですが、日差しの傾きと日照時間が本当に季節に影響しているのだなと感じさせます。なによりも私は寒がりなので、早く暖かくなってほしいだけではあるのですが。

もう軒先の梅も咲き始めました。私の家の庭の梅も、小品盆栽の長寿梅も開花しました。野鳥たちもようやく厳しい冬から解放され、食べ物にありつけます。これからあと一、二ヶ月もすると彼らの子育てが始まります。

東京都豊島区雑司が谷:猫

さて、素敵な季節がやってくるのは嬉しいのですが、季節が巡ればめぐるほど自分自身は老化していきます。そろそろ四十歳の折り返し地点に手が届きそうです。着実に成長できていれば身体の衰えも大して気にならないのですが、同じところをぐるぐると回っているようで、なかなか前に進むことができません。ありのままでいるだけで美しい梅の木とは異なり、人間は努力をしないと輝くことができません。
私を知る知人は、私は迷い続けることで成長するから、ずっと迷い続ければいいとアドバイスをくれますが、一向に成長しないのでもやもやとしています。

季節がぐるっと一周して、あらためて自分自身を顧みて、新しいことを挑戦しなくてはと思うのですが、思うように進まないのは参ったものです。これを解決するには自分がなんとかしないといけないので、知人の言う通り、これからも迷い続けようと思っています。

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