影響の価値と範囲

最近は自分自身だけでなく他者にも目を向け、皆が幸せであれば自身も幸福感を得られる、そんな価値観が最近広まっているといいます。

東京都豊島区雑司が谷:猫

かくいう私も自分の利益だけを追求するようなマッチョな価値観では満足を得られることはなく、まわりの人々の幸せを実現できてはじめて幸福になれると思っています。自分の利益になるのであれば社会のためにならないことでも率先して行動することに疑問を抱き、ほどよいバランスはどこにあるのだろうかと考え続けています。

また、利他的な影響を及ぼす範囲の難しさも痛感しています。自分自身からはじまり、家族、恋人、友人、知人、地域、国、民族、世界、もしくは人間だけでなく環境と、範囲が広まるにつれてさまざまな利害を調整しなくてはなりません。そこには自分自身の能力や経験、感受性のコントロールが必要となり、なにより責任というプレッシャーが増大します。

私はその範囲が広い政府や大企業、それをサポートするコンサルタントのそばで働いてきました。そこでは毎分、毎秒ごとに大きなプレッシャーがあり、求められる能力や技術も相当なものでした。関わる人々、ステークホルダーは膨大なものとなり、それぞれの思惑は本来の目的をかき消すには余りあるもので、推し進めるよりも個々の思惑を潰していくことが主要な仕事となり、気がつけば自分自身もその利己的な欲望に絡めとられ、目的を見失うことがありました。

現在の私はその世界から身を引きましたが、ハイレイヤーの領域で戦い成果を出し続ける人々と知り合うことができました。彼らは本当にタフで、さまざまな思惑が入り混じる魑魅魍魎(ちみもうりょう)が渦巻くなかで「社会をよくしたい」という確固たる信念を持ちながら活躍を続けています。年齢なんて関係ないのですが、私より年下でありながら本当に尊敬すべき存在です。

私自身はもっと対象となる人々の思惑が一致しやすい範囲のなかで今は活動しています。影響の範囲は狭いので合理的な考えを持つ人にとっては非効率な環境ですが、私はより人の感情や温もりを感じられる領域にいるほうが向いているのかもしれません。

人が社会に及ぼす影響は、広くとも狭くとも価値は変わりないと思います。広い範囲であれ、狭い範囲であれ、自身が大切にしたいところを自由に選べばいいと思っています。

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