言葉の意味

日経新聞で、夏目漱石の誤字についての記事を読みました。

Kindle 坊ちゃん
借金は「帰」さない? 漱石の誤字に隠れた意図
日本経済新聞 2013/10/30

彼は誤字が多いことで有名ですが、間違えたのではなく敢えてその言葉を用いたということです。
「坊ちゃん」の原文では、借金に対して「返す」と「帰す」が入り交じっています。一見「帰す」だと誤字ように思われますが、漱石は意図を持ってその字をあてたそうです。

新しい単語を作り出したり、当て字を考えだすことが多かった漱石。例えば「ロマン」の「浪漫」という当て字は、夏目漱石が作り出したと言われています。当時は国語辞典が編纂される前だったので、そのような言葉の創作は一般的だったと言われますが、ウィットに富んだ彼らしい発想だと思います。

米を研ぐ

この記事を読んでいて思い出したことなのですが、私はよく言葉の表現が、自分にとってどのような状態に例えられるかを考えることがあります。

例えば「感覚を研ぎ澄ます」の「研ぐ」。
普通は「研ぐ・砥ぐ」というと、包丁や刀などの研磨を想像します。「感覚を研ぎ澄ます」という言葉は、視覚や聴覚など五感を鋭敏にする意味があり、動物が獲物を狩るときや、真剣勝負のときに使われる場合が多いためです。緊張を伴い、少しでも気を緩めると失敗してしまうような雰囲気です。
しかし私の場合は「米を研ぐ」という感じがしっくりきます。
お米を美味しくいただくために、もしくは生活の最低限の手間として、水と手を使って研ぐ。神経を集中させるほど緊張せずに、しかし適当にもせず丁寧に研いでいく。
研ぎ澄ます感覚を、いつ・何のために使うかによるとは思いますが、私は物事を捉えたり、受け止めるときの第六感を研ぐイメージを持っています。瞬発的に集中するよりも、僅かな集中を伴って毎日「経験」を使って感覚を研いでいきます。そして小説など、創作活動を行うときに一気にそれを放出したいと思っています。そうなると、刃物を研ぐよりも日常に近い「お米」になるというわけです。

また「感性を磨く」の「磨く」は、古い家具を布で磨くようなイメージです。
丹念に磨き上げるというよりも、適当でもいいので毎日磨くイメージです。そうしているうちに表面が削れてツルツルになるのですが、削れるというよりも、どことなく日々の時間を表面に摺り付けていくイメージです。
先ほどの「お米を研ぐ」イメージは、もしかするとこちらの「感性を磨く」のイメージに近いのかもしれません。どちらも長期間、じっくり「研・磨」していく感覚です。生活に根付いていて、どことなく貧乏臭く感じられますが、これも個性なのでしょう、受け止めるしかないですね。

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