ともに過ごした時間

久しぶりに日本に戻り、以前から家に置いてあったものがとても新鮮に見えています。
今日は私の実家にある植木について紹介したいと思います。

実家の植物

もう10年くらい経つでしょうか。
大学時代の友人達と、夏休みを利用して神津島に旅行に行きました。
その際に民宿の方がお土産として持たせてくれたのが、写真左の植物です。
「丈夫で育てやすいから」と、苗木を帰り際に持たされたので、これがなんという名前なのか聞けませんでした。そしていまだに分からぬままです。

家に戻って素焼きの鉢と土を買って育てると、1、2枚しか生えていなかった葉が3枚、4枚と増えていきました。しかし6枚くらいになると、若葉が出ると必ず1枚は枯れてしまい、それ以上増えることはありませんでした。

何年か経ち私は中国に渡ることになり、植物は実家で育ててもらうことにしました。
母にも葉の話をしていたので、実家に帰るたびに「7枚まで増えたけどまた6枚になった」などと報告を受けていました。

実家の植物

そんなある日、母が大きな鉢に植え替えてみると、葉は増え始めました。
今では写真のようにのびのびと育っています。

この植物を見ると、まだ若い頃、一人暮らしをしながらこの植物を育てていた記憶が呼び起こされます。
声には出しませんでしたが、挨拶をしたり、葉が増えると褒めてあげたり。晴れたときは日向に置き、冬の夜は窓から少し離したり。
この植物は長く一緒に過ごした友人のような存在です。

実家の植物

さて、もう一方の友人がこのサボテン。
会社の部下の方からいただいたものです。
彼女のお母様はずっとサボテンを育てていて、このサボテンもお母様が若い頃から育てているサボテンを株分けしたものだそうです。ですので、もう30年以上も命を繋げているものだと思います。

遺伝子を引継ぎ、長い時を経て、まるで縁がない私の前でちょこんと佇んでいる。
部下の方の気持ちも大切にしながら、このサボテンを大事に育ててきました。
この小さな1つのサボテンも、鉢を移し替えた途端、どんどん数を増やして今では立派な姿になりました。

迷いや不安、希望や期待が入り交じった若い頃の自分と、経験を重ねて落ち着いた今の自分は大きな隔たりがあるように思います。
立派になったというよりも、年を重ねて「味が出てきた」というのでしょうか。
もちろんよい味も出ているし、くたびれて情けない味も出ている。
でもかつての友人が今の私を見かけたら、面影を見て私だとすぐに分かる。
この2つの植物と再会して、そんな感じがイメージされました。

「お互いに、随分長い時間を経てきたね」
なんて、思わずまた心の中で話し掛けている自分がいます。

時を過ごし、少しそばを離れて、また出会う。
「関係」とは点と線が交わり繋がって、より深い印象を紡ぎ出すのかもしれません。

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