実感の記憶

五月も半ばになり、暑い日も続くようになりました。
夏の雰囲気をそこかしこに感じます。
冬の間はすっかり忘れていたのに、季節が変わるとすぐに思い出します。
人の感覚と記憶なんて、とても曖昧なものです。

山口県光市室積

私が小説「パルテノペ」を執筆していたときは、ちょうど一年前の五月。
私は大連にいたので、東京でいえば三月後半の陽気でした。
「パルテノペ」は夏休みの物語なので、七月後半から八月が舞台です。夏の雰囲気を表現するのに苦労したのを憶えています。

山口県光市室積

頭の中に簡単にイメージは出てくるものの、それらはデフォルメされたものでした。
どこかリアリティに欠けるのです。例えば夏の朝のけだるさや、炎天下に晒されている際の汗のうっとうしさは、実感を伴って思い出すことができませんでした。

執筆中は映画を観たり小説を読んだりして、夏の場面を研究しました。しかしそれだけでは足りないので、家の近くにある海岸に出掛けたりして、感じ取ったことをノートに書き溜めました。

そして執筆も終わり、次の作品に取りかかっている最中に夏がやってきました。
私はここぞとばかりに五感を解放して、夏の気持ちよさも、悪さも吸収しました。
そしてそれを家に持ち帰り、作品を手直ししていきました。
今はその経験をいかして、季節毎に実感を記憶するようにしています。

東京・冬

それでは冬の感覚はどうでしょうか。
みなさんは、まだ憶えているでしょうか。
ただ「寒かった」だとか「いやだった」とか、そんな記憶はすぐに思い出せます。しかし、ポケットに手を入れてもなかなか温まらない手の感じや、高く高く澄み切った夜空を歩く瑞々しい感じを、すぐに思い出せるでしょうか。
夏になればなるほど、この感じは忘れていってしまうものです。

東京・冬

私はそれらを記憶し続けていますが、やっぱり全ては憶えていません。
現在新作を執筆していますが、その物語の舞台が冬だったので久しぶりにはっとしました。
雪がどのように降って、風にゆられて、冷たい玄関に入り込んでくるのか。
石油ストーブに火をつけたとき、どのようにマッチの焦げる臭いが漂うのか。
それらは厳しさを感じさせるのか、心細い気持ちにさせるのか。
そんな些細な実感が、執筆をしていて訪れました。

季節だけではなく、人は色々と忘れてしまいます。
出会いの喜び、別れの悲しみ、諍(いさか)いの辛さ。
それらにはとても大切なことが含まれています。
皆さんにそれを思い出してもらえるように、私は季節の実感を含めて記憶し、文章に書き留めていきたいと思っています。

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