三四郎池

本格的な夏まであと少しですね。梅雨はまだ続きそうです。
今回は雨の日に訪れた、東京大学内の三四郎池についてご紹介したいと思います。

東京都文京区本郷・三四郎池

三四郎池は、夏目漱石の小説「三四郎」に登場する池です。
東京大学の敷地に静かに佇んでいます。
正式名称は育徳園心字池といって、東大以前の加賀藩前田家の池です。
池全体が「心」の文字をかたどっていることから、心字池とつけられたそうです。

東京都文京区本郷・三四郎池

「三四郎」が出版されたのは明治四一年、1908年のことですからもう100年以上前のことです。当時は日露戦争が終戦を迎え、時代が大きく傾きつつありました。
世の中が国家主義に覆われ始めると、人々は自分たちのあり方をあらためて見つめ直すようになりました。

池で三四郎と出会う美禰子(みねこ)のモデル、平岡雷鳥もそのひとりで、女性は大学に行く必要はないと言われた父親の言葉と国家主義を重ね合わせ、それを嫌悪しました。彼女はその後に婦人運動家として活躍し、婦人参政権を主張します。彼女の名前を知らなくても「元始、女性は太陽であった」という言葉は耳にしたことがあるのではないでしょうか。

劇中の美禰子もモデルの雷鳥に劣らず、聡明であり自立心が強く、また奔放な性格をしています。
そんな彼女に三四郎は翻弄されるのですが、美禰子もまた、旧来の枠組みと新しい価値観のなかで悩み続けていたのだと思います。

東京都文京区本郷・三四郎池

「ストレイ・シープ」
美禰子の言う「迷える子」とは、三四郎だけでなく美禰子自身にも向けた言葉でもあるように思えます。

ふたりが初めて出会う三四郎池は、美禰子の揺れる心、そして明治末期の時代の矛盾を象徴したものだと思います。
大学内をほんの少し入るだけで、ぽっかりと孤独な空間が広がります。
そして「三四郎」をあらためて読み返すと、三四郎池と美禰子の描写が事細かに、そして美しく描かれていることに気付きます。

東京都文京区本郷・東京大学

舞台になった場所に訪れ、そして小説を読むことで、夏目漱石がどのように時代や風景を捉えていたのか読み取ることができます。でもそんなとき、彼と自分自身を比較して、私は実力の差を思い知らされます。少しでも近づくことができるように、精一杯頑張りたいと思います。

もし「三四郎」を読んだことがなければ、ぜひ手に取ってみてください。そして東大の近くに立ち寄ることがあれば、三四郎池にも訪れてみてください。

三四郎池
文京区本郷7−3−1(東京大学構内)
東京メトロ丸ノ内線・都営地下鉄大江戸線・本郷三丁目駅より徒歩7分。
東京メトロ南北線・東大前駅より徒歩10分。

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