夢のはなし

「明けたかと思ふ夜長の月あかり」と詠んだのは夏目漱石ですが、秋が訪れてずいぶん夜が長くなりました。皆さんは、どのようにお過ごしでしょうか。
本を読んだり、お酒を飲んだりと、楽しい時間を過ごすこともできますが、夜はやっぱり眠るのがいちばん正しい過ごし方かもしれません。

夢のはなし

私はつい夜更かしをしてしまうのですが、寝るのも大好きです。
とくに、毎晩夢を見るのを楽しみにしています。

夢は昔から人間にとって大きな関心事のひとつと言ってもいいくらい、不思議な魅力を持っています。
行ったこともない場所で、会ったこともない人々に出会い、現実ではあり得ないさまざまな経験をすることができます。
昔は神のお告げや予言と考えられていましたし、深層心理を知るために研究されてきました。
芸術関係でも、夏目漱石の「夢十夜」や絵画のシュールレアリスムなど、大きな影響を与えています。

夢のはなし

私も夢で、さまざまな体験をしました。
例えば、空を飛ぶ夢。「飛ぶ」というよりも「跳ぶ」夢です。足を空気にゆっくり乗せるような感じで下ろし、足の下の空気を圧縮させるように踏み込みます。そこから跳ねると少し高くジャンプすることができ、片方の足を同じように踏み込んでさらに高く舞い上がります。
この夢での感触はとてもリアルなものだったので、今でも身体で憶えて(いるつもりで)います。

夢のはなし

また、現実では行ったことのない場所にも、夢を通して何度も行きました。
道の途中までは現実の場所なのに、一本道を進むと夢の中だけの場所に変わります。
小学生くらいの頃にそんな夢を何度も見て、試しに近所へ探しにいったことがあります。

また、ある日の夢では、私は父親と森へ探検に出掛けます。木々をかき分けて行くと、ぽっかりと木が生えていない場所にたどり着きます。そしてその真ん中に、小さな木の芽を見つけます。父親とは「森の赤ちゃんだ」という会話をしました。
そして、その夢を見てから何日か経つと、再び同じ場所が夢に出てきました。
木の芽を見つけた場所までたどり着くと、今度はそこに大きな木が立っていました。つまり、小さかった芽が数日で大きく成長したのです。
「何日か前に見た芽が、こんなに大きくなったんだ」という父親との会話を、今でも憶えています。
こういった夢の続きを見たと錯覚させることも、夢が見せるいたずらなのかもしれませんが、なにか意味があるのではないかと想像させるところが、とても魅力的に感じさせ、親近感を憶えます。

夢のはなし

しかし夢は、とても儚いものでもあります。
あれだけリアルなものなのに、起きてしまうと忘れてしまう。憶えていても、現実には存在しない。とても虚しく、寂しい気持ちになります。
しかし私はそれでも、そんな夢たちが自分の心の中だけに存在していることに安心します。夢は誰かが見せてくれるものではなく、すべて自分から生まれるものであるからです。
つまり、自分の一部と言ってもいいのではないでしょうか。夢の中で出会った見知らぬ人も、行ったことのない場所も、きっと何度も寝ているうちに再会できるかもしれません。

夢のはなし

そんな夢を見るのを毎回楽しみに、私は眠ることにしています。もしかしたら、いつかそこから抜け出せなくなるのではないかと、不安になることもあります。
そんな危うさを感じながらも、私は夢に惹き付けられます。
さて、今晩はどんな夢を見るのでしょうか。
小説のヒントになる面白い夢が見られたらと、ついつい期待してしまいます。

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