夢のはなし:その2

前々回のコラムは夜に見る夢についてのお話でしたが、今回は将来の夢について取り上げたいと思います。
私のまわりには、夢の実現に向けて頑張る人たちが大勢います。
その夢の大小や努力の度合いに関係なく、前へ向かおうとする姿勢は私にとって励みとなっています。

夢のはなし:その2

よく「目標を夢とは呼びたくない」というニュアンスの歌詞や文章を耳にすることがあります。これは、願うだけで行動しないのなら、願いは到底叶うことはない、夜見る夢のように消えてしまう、という意味で用いているのだと思います。
また、達成すると見えてくる現実もあります。それが願っていたものと異なる場合もあるので、変に期待するよりも、淡々と行動していくことが大事だという意味なのかもしれません。

これは目標実現に対しての決意表明のようなものだと思いますが、私は夢は「夢」でいいと思っています。
なぜなら、夢のほうが楽しい気持ちにさせるからです。また、実現したらそれこそ夢心地です。努力のあとは、やはり無邪気に喜びたいものです。
ですから、前者の歌詞はリアリスト、後者の私はロマンチストと言ってもいいのかもしれません。

夢のはなし:その2

人によってその姿勢は異なりますが、私は夢に向かって進む人たちに囲まれています。
例えば、音楽関係のアーティストを目指すふたりの女性。

ひとりは十年くらい前から活動していたのですが、一旦その動きを抑えていました。しかし最近から再び力を入れ始めています。そしてもうひとりは昨年あたりから仕事を辞めて、歌一本に絞って頑張っています。

また、IT業界やマーケティングの最前線を走っていた姉妹の友人たちは、五十代になって自分自身を見つめ直し、新たな目標に向かって歩み始めています。
この他にも、小説の曲を作っていただいたrosco motion orchestraの方々や、映画監督の友人、広告やウェブのクリエイティブに携わる友人など、数えるときりがありません。

彼らは迷いながらもひとつの目標、夢に向かって頑張っています。

夢のはなし:その2

一方で、夢が見つけられない人々もたくさん悩みながら頑張っています。
自分のやりたいことはなにか、自分はどうすれば幸せになれるのか、そんなふうに迷いながら道を行ったり来たりしています。しかし、それは当然です。二十代ならまだしも、歳を重ねると引き返せない恐怖もあるので簡単には決められません。失敗してきた経験もありますし、なにかひとつに絞るというのは相当な覚悟が必要です。

そのような人たちは自分のことを、駄目な人間だ、弱い人間だなどと低く評価します。しかし、私からみると夢を持って頑張っている人も、夢を模索している人も同じように思います。
なぜなら、夢に対して真剣に考える、自分自身を真面目に見つめ直す、この行為は両者ともに共通するからです。

私も今、道をさまよいながら進んでいます。
だから夢の大小や努力の度合いに関係なく、前へ向かおうとする友人たちの姿勢には大きく励まされます。
私は小説を一本でも多く書いて、前へと進んでいることを皆に知ってもらいたいと思っています。そしてそれが彼らの励みになってくれたら、とても幸せに思います。
皆がそれぞれの納得するかたちで夢を実現し、笑い合えるときがきたら嬉しいと思いますが、実は実現するよりも、努力している過程のほうが楽しいのかもしれないな、とも思い始めているこのごろです。

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