迷い悩むこと

ここしばらく忙しい日々が続いています。家に帰ると目も開けていられないほど疲れているのですが、昔に比べたら随分とましになりました。

東京都豊島区雑司が谷:猫

二十代から三十代のときは闇雲に働いていたような気がします。元々、頭の作りがよくないのと、これといった信念を持ち合わせていなかったので、ただ仕事をしていれば良いのだと思い込んでいました。次第に限界というものを知り、自身の先行きに不安を覚え、前に踏み出すことに躊躇していました。

そんな時期を経て、また新たなフェーズに差し掛かろうとしています。怯える自分を脱ぎ捨て、再び身を粉にして取り組まなければならないようです。
私自身は早く目まぐるしい日々から逃れて、老人のように過ごしたいと思っているのですが、潜在的なところでは仕事に身を捧げたいと望んでいるようです。

さて、そこで疑問に思うのが「仕事」の定義です。自分自身の興味に近い仕事なのか、ただお金や地位など誰もが望むものを得るために行なう仕事なのか、どちらがやりたいのか未だに分からずにいます。

書店でよく見かけるビジネス書籍では、仕事をする目的や意義などを明確にするようにアドバイスしています。これは本当に理路整然とした考え方なのですが、私自身はあまりしっくりきません。なぜなら人はあまのじゃくな生き物なので、どちらも欲しくあり、いらないとも思っているからです。

そのような観点でいうと、時期によって気持ちをスイッチしながら行動するのは合理的かもしれません。ただの気分屋とも思われるかもしれませんが、頭で考えることができない以上、気持ちで判断していくのはしょうがないことかもしれません。

例えば、最近私はフィルムカメラを再び手にするようになりましたが、デジタルカメラも同時に扱います。それぞれに魅力があるので、片方を選ぶことなんてできません。さらに、時期によってある一方を贔屓することがあります。扱いにくいけれど、じっくり被写体を見つめることができるフィルムカメラの魅力と、一瞬でも確実に被写体を記録できるデジタルカメラの魅力は甲乙つけがたいものがあります。

結局、どちらか一方を選ぶことはできず、叶うことならば両方手にしたいと思うものです。最後にひとつ選ぶとしても、今はその時を考えず、思いのままに選択するのだと思います。
「人生とは選択の連続だ」という言葉もありますが、私はどちらかというと「人生は迷い悩むことの連続だ」という感覚のほうがしっくりきます。誰もが羨むスーパースターになりたいのであれば別でしょうが、私は自分自身の身の丈で人生を全うしたいので、迷いさまようのも悪くないと思っています。

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