雲水不住

普段は目を向けることもない、たわいないものがなくなっていたとしても、その変化に気づくことは滅多にありません。街中には、そのようなものがたくさんあるように思います。

東京都文京区小石川 小石川植物園:桜

休日に私はよく街をぶらぶらしながら、偶然見つけた公園で休むことがあります。そこで子どもが遊ばなくなった古い遊具を眺めては、その種類の多さや個性的な佇まいを観察し、遊具の過ごした年月に思いを馳せています。

それらの遊具を見ていると、ずっとこの先も同じ場所にあるものだと錯覚してしまうのですが、足しげく通ってみると、突然姿を消してしまうことがあります。公園の大きな構造は変わらないのですが、小さな変更が重ねられ、昔とは異なる趣へと変容していきます。
街角の雰囲気も、古い小さな家屋が建て替えられ、何十年という間に変わっていきます。街は目新しく清潔で住みやすくなりますが、昔の風景を知っている人々にとっては少し寂しい心持ちになります。

 東京都新宿区霞ヶ丘町:国立霞ヶ丘陸上競技場跡地

しかしながら、時という概念が支配するこの世の中では、そういった変化は避けることはできません。雲水不住といいますが、同じように見えるものでも常に変化して順応し、新しい世界を作り上げています。もちろん変わらないものも存在はしますが、人間という生き物は常に代謝を繰り返さないと生きていくことはできないため、変化に向き合わなければなりません。

 東京都新宿区霞ヶ丘町:千駄ケ谷駅付近

変化に向き合うことは、少々寂しくあり、不安であり、残念なことであります。私も願わくば、今現在の春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)とした休日に身を任せて、変わらず穏やかに過ごしていたいと思います。しかしそれは、少々贅沢な考え方なのかもしれないなと思います。そのような贅沢は、永遠の床に就くときまでお預けかもしれません。きっとその時になれば、ずっと変化のない穏やかな日々を過ごすことができるのでしょうから、今は変化に一喜一憂し、懸命に生きなければならないのかもしれません。

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