取り壊されていく過去

人は様々な人と出会い、多くの経験を重ね、そしてある時ふと、どこかへ旅立っていきます。そしてその場所には、かつての賑やかだった頃の面影が、抜け殻のように転がっています。

東京都港区麻布台・虎ノ門地区

このコラムでは何度となく取り上げてきましたが、東京の街々をそぞろ歩いていると、打ち捨てられた家や、取り壊されかけた建物を見る機会が多くあります。賑やかな繁華街にぽつんと佇む家屋もあれば、街の一帯が立ち退いて、辺りがひっそりとしている場所もあります。

東京都港区麻布台・虎ノ門地区

虎ノ門・麻布台一帯は、六本木や飯倉などに隣接する都会のど真ん中ですが、大規模な開発のために街全体が無人となっています。家屋はどれも少し前まで人が住んでいた形跡があるのですが、不気味なほどひっそりとしています。

東京都港区麻布台・虎ノ門地区

玄関の柱に取り付けられた牛乳箱や、幾つも並べられた植木鉢などが、かつての生活の様子をしのばせます。目を遠くに移せば、最近建てられた大きく立派なビルに囲まれており、この地域だけが完全に取り残されていることがわかります。

東京都港区麻布台・虎ノ門地区

うろうろと彷徨っていると、暗い窓から誰かに見られているような、家屋の間から賑やかな声が聞こえてくるような、どこか異世界に迷い込んだ錯覚に陥ります。

東京都港区虎ノ門:鞆絵(ともえ)小学校跡

また、すぐ近くの神谷町辺りには広い土地が更地になっていました。ここはかつて港区立エコプラザという施設で、その前は鞆絵(ともえ)小学校という学校があったのだそうです。小学校は1991年に閉校になりましたが、更地を覗き見るとかつての校舎の土台や、鉄棒などが残っていました。

東京都港区虎ノ門:鞆絵(ともえ)小学校跡

愛宕神社側にある門には、立派な藤棚と二宮金次郎の像が残されていました。今後は教育センターや学校歴史資料室などが建設されるそうなので、できればありのままの形で保存されることを祈ります。

東京都港区麻布台・虎ノ門地区

人々が生活していた場所がなくなっていくのは、そこに愛着がなくとも強烈な寂しさを感じます。なぜなら、その頃にあった出来事や人々のドラマも一切がなくなってしまうような気になるからです。そう考えると、今自分自身が生活している家や、楽しく生活をしている場所も同じように取り壊され、自分の記憶も消え去ってしまうのかなと思います。そして、別の人がその抜け殻になった家を見て、同じように寂さを感じるのかもしれません。

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