すぐ隣のこと

ここのところ、台風の影響からか肌寒い日が続いています。風邪をひいて体調を崩さないように、少し温かい格好をしなければなりませんね。

猫

今週の火曜日、六月十二日に米朝首脳会談が行われました。ニュースを観ていると、少し経った今でもこの話題で持ちきりです。朝鮮半島周辺の国々はこの会談をそれぞれの立場で見守り、様々なことを思い描いたことでしょう。

私は韓国や北朝鮮の友人がおらず、訪れたのも韓国の空港をトランジットで利用したのみです。過去に在日朝鮮人の方と交際したことがありましたが、当時はあまり知識がなく、相手もそこまで深く話をしませんでした。今では社会の関心も強くなり、様々な情報が手に入るようになりましたが、実感を伴って朝鮮半島のことについて考える機会はありませんでした。

しかしながら、今回の会談をきっかけに、自分の立場に置き換えて少し想像してみることにしました。
もしも日本が分断されていて、一方の国に生まれていたらどのように感じていたのでしょうか。私は四十代なので、きっと片方の国に生まれたことを当たり前のように感じていたかもしれません。しかしながら、分断される前の話を親から聞いたり、友人の親族が国境線越しに生き別れになっているという話を聞いて、他人事ではないとも思っていたに違いありません。また、資本主義と社会主義の違いや経済発展の違いなどからも、様々な疑問が沸き起こっていたことでしょう。国家がひとつの民族で成り立ち、同じ土地に住んでいる日本人とは大きく環境が異なります。

共同体が分裂したり、くっついたりすることで、人間には様々な問題が生まれていきます。知人同士の集まりや会社のように小さなものでも厄介なのですが、国という単位となると想像を絶する規模になります。

想像力を働かせてみると、自分の住んでいる国のすぐ脇でこのような問題に直面し続けている国があるのだと少しだけ実感を伴って感じることができます。中国や台湾の関係も然りです。そのような視点で今回の会談を見てみると、拉致問題や核の脅威、極東アジア地域の勢力均衡だけでなく、あらゆる課題があらためて浮き彫りになってくるようです。

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