晩年

一月もあっという間に終わり、立春まであと少しです。少し経てば梅の花が咲き、少しずつ春が近づいてきます。

東京都港区南青山:大松稲荷のザクロ

寒い冬が過ぎるのはいいのですが、時が経つのを短く感じるのは怖いものでもあります。

先日に母と話していたのですが、母の知り合いが次々と亡くなっているそうです。母は七十代前半なので当たり前のことではあるのですが「今後さらに知り合いが減っていくと思うと寂しいわ」と嘆いていました。しかしながら、母のいちばん仲の良い友人は五、六歳下なのでとりあえず安心です。逆にその友人は、母に先立たれたらとても落ち込むかもしれません。母の友人には私も小学低学年の頃からずっと可愛がってもらっているので、母がこの世を去ってしまったら、私が母に代わって話し相手になってあげたいなと思いました。

母には友人の他にも私のような家族がいます。彼女がひとりで寂しがらないように最後まで面倒を見てあげたいと思っています。翻って、私自身はどうでしょう。そばにいてくれる人たちは現在たくさんいますが、何十年後はどうなっているか分かりません。その人たちに先立たれているかもしれないし、関係が断たれているかもしれません。仲の良い友人も、仕事で苦労を分かち合っている同僚も、SNSで知り合った人や通い慣れたお店の店主もその時にはいないかもしれません。私の家で可愛がっていた猫たちのことも誰一人知らず、思い出を共有できないまま、自分自身の胸にだけ留めているかもしれません。

東京都豊島区雑司が谷:猫

しかしながら、人の晩年というのはそういうものなのかもしれません。たくさんの人たちに囲まれていたとしても、過去に愛した人たちはもういないのです。だからこそ、今現在大切な人たちとめいっぱい触れ合い、晩年に「もっと大切にしておけばよかった」と後悔しないようにするのが大切なのではないかと思います。

時が経ち、老いていくことはとても寂しく不安なものです。しかしながら、それを覚悟しておくと同時に今現在を大事に思うことが肝要なのではないかと思っています。

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