人間以外の生き物と一緒に暮らすと、さまざまな気づきが得られます。植物や虫、魚、鳥類、爬虫類や哺乳類など、どの生き物でも同じです。
最近は外出自粛の影響で、ペットの需要がのびているという話を耳にしました。たしかにペットがいると楽しいですし、寂しさや不安が和らぐような気がします。私の実家も猫が何匹かいますし、庭やベランダで魚や植物を飼育しているのでわかります。
しかしながら、生き物の世話は面倒が多く、体験したくないことに直面することもあります。思った以上にお金が掛かりますし、餌やりやトイレの掃除は毎日続くと非常に面倒です。嘔吐したら拭き取るだけでなく、体調に気を配らなくてはなりません。また、ものを落としたり、家具で爪を研いだり、自由気ままに散らかし放題です。おまけにどれだけつくしても、自分に懐いてくれない場合だってあります。
草木の世話はそれほど大変ではありませんが、同じように病気に気を配ったり、害虫を退治しなければならない場合があります。また、根詰まりを解消するために根を切ったり、伸びた枝を剪定したりと少し可哀想に思えることもやらなくてはなりません。魚に至っては増えすぎた稚魚をあえて放置して、親の魚に食べさせる場合もあります。
最も受け入れ難いのは死んでしまったときです。不憫で可哀想だし、「ああしてあげればよかった」と深く後悔したり、喪失によって寂しさがこみ上げてきます。
これらは生き物である以上当たり前のことで、とても生々しいことばかりです。
私の感覚では「可愛い、癒される、楽しい」と感じる時間は全体の三割程度で、七割は世話の時間です。しかしそれでも、自分にとって生き物と共に暮らすことは、大きな価値をもたらしてくれるものだと思っています。
私の実家は野良猫あがりの猫ばかりで、すでに重症で手遅れな猫も多くいました。痛々しい姿のものもいましたし、看取った猫の数もとても多く、なかには子猫もいました。生きることに一所懸命な彼らの姿に感動しましたし、運命の儚さに虚しさを感じることもありました。また、毎日の世話を通して平凡な日常が生命活動の根源であるということも学びました。ネガティブなことがとても多いのですが、それが生きることの本質でもあるように思います。本当にさまざまな気づきを得られ、ともに過ごせたことに感謝しています。
最初は誰しも生き物を飼う場合の責任や大変さなんてわかりませんし、外出自粛を機に飼い始めるのも決して悪くないことだと思います。ただし、面倒くさいことも、悲しいことも、臭くて汚いことも、すべてが素晴らしい気づきを得られるものだということを知っておいていただきたいと思っています。