頼りにされること

連日暑い日ばかりで、心も身体も溶けそうになりますね。マスクをしながらの熱中症対策は大変ですが、自身を守るためなので工夫をしながら過ごしたいものです。

壮年期や中年期は責任世代などといわれますが、最近は下や上の世代に頼りにされることが多くなっています。なにかをしてあげたり、助言を求められたり、いろいろなサポートをしているのですが、苛立つことも多くあります。

ひとえに自分自身の度量が狭いからなのですが、一方で中年という年齢も原因であると思います。例えば「自分の若かったころは、まず自分で調べてわからなかったら質問していた」といった経験から、調べもせずに質問してくる若者に対して苛立ちを覚えたりします。最近の世代はインターネットにおいても検索をせず、SNSで詳しそうな人に直接聞いてしまうほうが効率がいいと考える傾向にあるようで、そこが世代的なギャップとして現れているのでしょう。

また、上の世代に関してはデジタル関係のものに疎かったりするので、使い方を教えたりすることが多くなりました。私の母はスマートフォンの操作が苦手で、メッセンジャーツールも全然できないのですが、理由を聞くと「説明書がない」と答えます。しかしながら、血圧計などのハードウェアを手にしたときは、説明書も読まずに触りだし、うまく使えなかったりします。なぜ説明書を読まないのかと聞くと「文章が難しいから」と答えます。これはユーザー本意で考えればプロダクト側の使いやすさの問題ではあるのですが、使う側の努力も多少は必要です。高齢者は体力的にも精神的にも衰えがあるので、新しいものに対して挑戦する意欲が少なくなるのでしょう。

中年になると、さまざまな世代や種類の人々から相談が持ちかけられ、対応できてしまうことから自分自身がおざなりになってきます。周りのことばかりに気をかけて、自分自身の問題は解決しないままになるので苛立ちを覚えることも多くなるのでしょう。しかしながら、頼られることは他者から自分が評価されていることでもあるので、おおらかな気持ちをもって応えていきたいものです。

Scroll to top